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たいせつな場所

text & photo by Hiroko SATO  /  posted on 2013.6.20


 

子どもの頃は、おとなになったら海のそばに住みたいと思っていました。

海に歩いて行ける場所か、海の見える場所。


母の実家が小名浜港のそばにあり、港をひとりで歩くのが好きでした。

潮のにおいと、魚のにおいと、油のにおい。

それは今でも私にとっては、なつかしいにおいです。

 

港ではない海は、陰磯と、釜の前。

ここは時々、自転車でひとりで行く場所でした。

なんてことのない小さな海岸だけれど、

夏には従兄弟たちと磯遊びをしたり、遠くの友人を案内したりもした、なつかしい場所。

 

それがあの震災以来、海のことを思うと、悲しみのようなものがどこかについてきます。

口には出さないけれど、心の中で思うこの気持ちはきっと消えない気がします。

こんな話をするのも少しはばかられる気持ちです。

 

その場にいなかったから。

こで暮らしていないから。

直接の被害にあっていないから。

 

けれど、それでもやっぱり海は好き。

海が見えれば嬉しいし、砂浜を歩くのは楽しい。

浜を歩けば、必ず水に触れたくなる。

これももっと年をとったら変わるでしょうか。

 

私にとっての小名浜は海のほかにもうひとつあって、それは「町」。

当時の名店街やショッピングセンターは子どもにも楽しい場所でした。

人も多くて賑やかで、笑顔があふれていたように思います。

 

本が好きだったので本町通りの書店にはずいぶん通いました。

どの書店にどの出版社の文庫が多いか、友人と情報交換をして。

今その「本屋さん」も軒並みなくなっていて寂しい気持ちがします。

本町通りのお店も、ずいぶん閉まっているところが多くなってしまいました。

 

小名浜がどんな存在かと言われれば、故郷ということにつきます。

高校3年の春に自宅は泉に引っ越したけれど、幼い頃からの思い出は小名浜のものばかり。

今は横浜に住んでいて、時々泉の家に帰ります。

その時は必ず親戚のいる小名浜へも行って、なつかしい場所に寄ってみたり。

 

幸い夫もいわきが好きで、第二の故郷とまで言ってくれるのがありがたいです。

先日帰省したときは、小名浜に久々にかつおが揚がったときでした。

これは嬉しかったです。

今食べられない小名浜の海の幸が、早くみな食べられるようになりますように。

地元で暮らしている人たちはどんなに待ち望んでいることかと思います。

離れて暮らしていてもそう思うのだから。

 

最近、自分の出身地を意識して口に出すことが増えました。

そんなことからはじまる話もあるのだと思っています。


文章/佐藤 裕子

1961年いわき市小名浜生まれ。横浜市磯子区在住のデザイナー/イラストレーター。

小名浜第二小学校、小名浜第一中学校、磐城女子高校を卒業。

印刷会社のデザイン部門、制作会社を経て現在は有限会社ケイワークスでイラスト制作、デザインなどにあたっている。


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コメント: 1
  • #1

    木村 絵里(黒川) (土曜日, 03 5月 2014 23:13)

    私も1961年いわきに生まれ磐城女子高等学校卒です。たぶん学校で同じ学年で顔をあわせたこともあるのだと思います。こういう形でつながりをもてるのが悲しいような・・・わたしの家は江名で震災にあった友達がいます。(私の父はその半年後になくなりました。)でも新しい町を・復興を期待しています。 小名浜の盤女卒のお友達とも交流があります。