HOME  >  ESSAY  >  胸に刻んだ想い

胸に刻んだ想い

text & photo by  Momoko MORI  /  posted on 2013.7.2


 

2013年3月10日、11日と、私はいわきを訪れた。

この日に部外者の私が赴くのはどうなんだという葛藤もあったが、

自分が行きたいと思ったのなら行こう、と決めた。

 

被災地をこの目で見てみたかった。困っている人の役に立ちたかった。

でも、困っている人ってなんだ? 私がレッテルを貼っているだけでは?

私自身は困っている人なのか? と、いろんな疑問が湧く中、とにかく現状を見てみようと足を運んだ。

 

勿来では「復興ウォーキング」に参加した。

16kmを歩きながら、被災地を見て回ろう、という企画である。

現地の方に、当時の様子や、いわきの観光スポットを教えてもらった。

休憩場所で食べた魚のみりん干しがとてもおいしい。干物、久しぶりに食べたと気づいた。

なぜだが、大声で泣きたくなってしまった。

 

紹介してくれた小名浜の水族館やお土産屋さんでは、魚屋のおっちゃんが声をかけてくれた。

「Nikon!Nikon!」と。(Nikonのカメラを首から下げていたので) とてもあたたかい。

知らない場所を1人で旅していたので、素直に嬉しかった。

 

11日、豊間の追悼式に参加した。

式が始まる数時間前に現地へ行き、海岸線をずっと歩いた。

海は、家も人も何もかもを飲み込んだなんて信じられないくらい、穏やかだった。

空も、海も、全てが青かった。ずっとここにいたいと思わせるほどに。

 

海は、私にとってとても思い入れのあるものだ。

私は鎌倉の、海が目の前にある高校に通っていた。

あの頃の懐かしさと、この海の悲しさ、自分の想いの複雑さで、胸がぎゅーっとなっていた。

 

しかし、献花の時、自分の持っていた花の白さと、海や空の青さに、

不覚にも、ああ、きれいだ…と思ってしまった。

 

再会を喜ぶ町の人の声や、カメラマンの淡々とした表情。フラッシュの嵐。

これでいいのか? あれ? 自分の感情がわからなくなった。

いや、気づいていたらどうにかなってしまっていたかもしれない。

 

いわき駅に戻る際、バスの中から見た光景を私は忘れない。

いや、忘れてはならない。

 

辺り一面、家が流され土台だけとなっている場所をバスは進む。

その中の一か所に、家族が花束を置いていた。おそらく以前、そこに住んでいたのだろう。

家族は泣いてはいなかった。

 

決して強いわけではないはず。

たくさん泣いて、弱さを出したからこその今があるのだろうか。

弱さの力というものを感じた。

 

私は、ただひたすらに涙が止まらなかった。

ipodで猪苗代湖ズの「I love you&I need youふくしま」を聴きながら。

その家族に思いを馳せながら、自問自答の繰り返しだった。

 

私は家族を大切にできているのか?

一瞬一瞬をただひたすらに生きているのか?

あとで振り返ってみて後悔しない生き方ができているか?


私は、私は、私は… とても、自分の家族に会いたくなった。

 

故郷に帰って旅の話をしたいと思った。

 

この旅を通して、なんだか私はほんの少しだけ強くなれたような気がする。

強くなったといっても我慢とか、頑張りとか、そういうものではない。

弱さをたくさん見て、それを自分の中に吸収できた。

弱さを弱さとして外に出すことを覚えた。

そういう意味での強さである。

 

弱さは時に、本当の強さにもなり得るのである。

いわきで得たこと、私はずっと忘れずに、胸の中に刻んでおきたい。

 

文章/森 桃子

横浜で生まれ育つ。

大学進学を機に一人暮らしを始め、現在立命館大学に在学中。

くるりに10年来の恋をする。


◀◀ PREVIOUS  /  NEXT ▶▶

 

コメント: 0