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INTERVIEW

田村 博之  Hiroyuki TAMURA

自分が面白いと思うものを撮ればいい

posted on 2011.8.16


 

昨年、フリースタイルモトクロスやサーフィンなど、いわゆる「横乗り」のフリースタイルの映像を集めたDVDを発表するなど、いわきを代表するビデオグラファーとして知られる田村博之。田舎の港町で「地産クリエイティブ」に携わることのヒントが知りたくて、小名浜を拠点に活動する田村に、「小名浜でものづくりすること」について聞いた。


いわき市が、フリースタイルスポーツのメッカとして知られていることをご存知だろうか。豊間や四倉、勿来などのいわきの海には、良質の波を求めて県内外、国内外からサーファーがやってくる。いわき市の隣の鮫川村には、日本を代表するフリースタイルモトクロス(以下FMX)の練習場「モトパーク森」があり、いわきに居住しながら国外を転戦するプロライダーもいるほどだ。車で1時間半も走れば、ウインタースポーツの世界大会が開かれる猪苗代のスキー場もある。いわきは、1年中何かしらのスポーツが楽しめる “フリスタ” のメッカとも言えるのだ。

 

そのフリースタイルカルチャーの潮流に身を置き、ビデオグラファーとして活躍している田村博之。昨年10月に「OUTBACK FILM」名義で発表したDVD『chocolate』は、FMXのトップライダーとして世界的に知られる佐藤英吾を筆頭に、渡辺広樹、渡辺学、鈴木大輔らいわきのプロサーファーたちをフィーチャーし、横乗りのフリースタイルカルチャーに大きな反響を呼んだ。いわき市平の大型文化芸術施設「いわきアリオス」で開かれたリリースパーティに錚々たる面子が集まり、田村はビデオグラファーとして大きな第一歩を記した。


田村とプロライダーでもある関志路充毅がこれまでに撮り溜めた映像を、田村自身が編集、軽快なヒップホップを乗せたビデオクリップ。難易度の高いトリックを、それが一番美しく見える角度で切り取る田村のセンスは競技者からも評価が高い。また、いわきの美しい海や空を随所に編み込み、いわきのフリースタイルスポーツが「自然とともにあるスポーツ」であるというメッセージを紡いだ。田村が伝えたいことが、ダイレクトにつまった作品といえる。

 

『chocolate』のデモ映像。2分半の中に、DVD本編のエッセンスが絶妙にちりばめられている。

 

—そもそも、どうして横乗りのフリースタイルの映像を撮り始めようと?

 

そもそものきっかけはスノーボードなんだよね。自分でも滑るんだけど、自分の滑りが見たくてそれでカメラを買ってさ。あくまで記録として。普通のハンディカムだけど、一番高いのを買って、それで、友だちを撮ったりするうちに撮る楽しみを知ったのが、そもそものきっかけっていえばきっかけかな。

 

その頃、いわきに帰ってきて、FMXのイベントに普通に遊びに行ったんだけど、こりゃすげえなって。いわきにもこんなすごい人たちがいるのかって。やっぱさ、あのぶっとぶ感じ?  すごくスノボとリンクしてるし、スノーボードに似てるなぁって。直感的なんだよ。あのスピード、遠くにいく感じ、飛ぶ、回る。あぁ、こんなおもしれーもんがあんだ! って、それで撮り始めた。

 

 

—撮った映像ってメモリの中に残ってしまっている人がほとんどだと思うけど、どうしてそれをDVDにしようと思ったんですか?  編集と一言で言っても、そう簡単にできるわけじゃないですよね。

 

最初は頼まれたわけじゃなくって、自分で勝手にカメラを回してた。素材がまとまってくると、今まで色々見てきたビデオクリップなんかと比べて、編集ってどうやるんだろうって疑問がわいてきてさ。でも、マニュアルもなにもなかったし、なにをどうしていいかなんてほとんどわかんなかった。金もなかったから、正直どこにむかっていくんだろうってのは、あったよね。

 

それで、せっかくやるんならDVD出そうって、勢いとノリで(笑)。リリースは去年の10月なんだけど、リリースまで11ヶ月しかなかった。最新の映像も入れたいし、福島なんだからサーフィンもスノーボードもみんな入れようって。それからプロサーファーとコンタクト取り始めたのかな。いい波は冬に来るから、このチャンス逃したらヤバいなって、それですぐにやろうと決めて走り出したね。

 

とにかく時間がなかった。昼間仕事をやりながらだから。それにサーフィンって「波」が命だから、朝イチで撮影とかザラだし、波待ちも当然ある。そうだなぁ、60分テープで40本くらい撮ったかな。全部映像チェックして編集するのは大変だけど、撮ってるとき気持ちよかった部分はちゃんと覚えてる。「あのトリックやってくれないかなあ」なんて思ってファインダー覗くと、ちょうどそれをやってくれる。フィーリングがはまった映像。ああいうのを編集するのは、ほんと楽しいよ。

 


そうなのだ。田村は、本職で映像を制作しているわけではない。いわば「趣味」の領域で『chocolate』を制作していたのだ。驚くべきバイタリティ。僕は、小名浜に、こんな気骨溢れるビデオグラファーがいたことに驚き、うれしくなった。反面、今まで田村を知ることがなかった自分を少し恥じた。そして、田村を撮影へと向かわせる「原動力」が何かを知りたくなって、田村の歴史を少しだけ紐解かせてもらった。

 

地元の高校を卒業した田村は、陸上自衛隊へと入隊。スノーボードを始めたのは、その頃だ。でもそのときは、あくまで「撮っておく」くらいの動機だったから、田村本人は撮影よりも競技に夢中になっていた。「自分で滑るのが楽しすぎてさ、撮影もやめて1年中スノーボードのことしか考えない、そんな数年間だったかな。でも、ちょうど自分のスノーボードに見切りがついて、それで撮影に戻ってきたんだ」。

 

見切り。田村にとって大きな決断だった。「ほんとスノーボードに携わる何かがしたい」と、自衛隊を辞めた田村は、プロボーダーも集まるカナダのウィスラーに籠った。プロの競技者を目指していたのだろうか。しかし、現実はそう甘くはなかった。「世界レベルのボーダーばっかりだからね。ああ自分ちっちぇなあって。だって全然世界が違うんだもん」。それを肌で感じた田村は、日本に、小名浜に帰ってきた。

 

それでも、田村とスノーボードの縁が切れることはなかった。「競技者」としてではなく「記録者」として、おもしろさを伝えていく道を選んだ。競技者を目指していたくらいだから、テクニカルな側面もしっかり理解した上で、情報を受け取る側が興味を抱く部分や喜ぶツボを心得ている。ただの記録用なのに、「一番高い」ハンディカムを買ってしまったと田村が言ったのを思い出して、「そのときに、ビデオグラファーの運命が決まっていたのかもしれないね」と僕が言うと、「いやあほんと、そうかもしれない。おもしれえなあ」と田村は笑った。

 

日本に帰ってきて、FMXと出会ったときの「こんなにすげえもんがあるんだ!」という想いは、今も田村の原動力になっている。すげえ。だから、誰かに伝えたくなる。このすげえもんを保存しておきたい。だから、撮っておく。始めから「DVDを作ろう」という意図はない。ただ、目の前の「すげえ」や「おもしろい」を、撮影して誰かに伝えたかっただけ。田村は、一貫して「伝える側の人間」だった。

 

 

—それにしても、仕事をしながらの制作はかなり厳しいですよね?

 

普段は仕事してても、やれることをやればいいんだよ。だから、絶対できると思ってた。やりはじめた以上、途中で投げ出さない。仕事持ちながらもできるって。プロの人にも「そんなだからハンパなんだ」と言われたこともあるけど、愛のムチだと思って、俺は俺のスタイルでやってやろうって。本職じゃなくてもやれる。クオリティを追い求めるのも大事だけど、自分にできることを精一杯やる。それでいいんじゃないかな。

 

昔は夜の10時くらいまで仕事があって、ぜんっぜん面白くなかったし、映像なんかやろうとも思ってなかった。でも、今の仕事は5時くらいに終われてるし、だったらやってみようって。田村さんって映像で食ってるの? ってよく聞かれるけど、全然関係ない職場で働いてるからこそ、いいリズムを生み出してるってことはあると思う。

 

 

—震災があって、サーフィンやFMXのカルチャーが苦しんでる。撮るものがなくなってしまって、辛くはない?

 

そうだね。モトパーク森に集まってたライダーも、原発事故があったせいで各地に避難してたり、影響は正直かなり大きい。だけど、個人的なところから言えば、震災があって、「ここにいるから全部つながってる」ってすごく思える。今の小名浜は面白いよ。UDOK.に集まってくる人たちに出会ったことも大きい。ここで出会った人はみんな震災後だから。震災ってほんとクソだけど、新しい出会いもあったし、新しい何かを始められるじゃんって、前向きに考えられる。

 

だから、これからは小名浜で何か面白いことをやってる人を撮ろうって。俺はさ、被害とか撮りたくない。別に俺じゃなくても撮ってる人はいるし。「小名浜にこんなおもしれーヤツがいる」って、俺にとって面白いもんを撮っていく。それでいいって思ってるよ。 それに、震災の前は、なにかと「いわき」だったけど、今は、生まれたところをなんとかしてえって、ひとりひとりなんとかできるのは、自分の住んでるところじゃないかなって思うんだよね。だから、小名浜っていう小さいところから、少しずつもりあげていきたい。

 

俺は記録係でいいんだ。俺が撮ってれば、残ってる。ライディングチェックができる。スノーボードのときもFMXのときもずっと思ってたけど、みんな、自分のやってきたこと、見たいし、チェックしたいんだよ。俺が撮った映像見て「どうだった?」なんて聞いてくるライダー、うれしそうだった。そういう顔を見るのも好きだし、そういう、記録を撮るのが楽しみなんだ。これからは、小名浜の人、小名浜の人が生み出すもの。そういうものを撮っていこうって思ってるよ。

 

 

自分でできることをする。昼間の仕事があるからこそいいリズムが生まれる。始めたら途中で投げ出さない――。いわきで、小名浜でものづくりをしている人間だからこその、重みのある言葉。被災した東北の港町にたいした産業なんて期待できないし、実際、震災前からあんまり冴えてなかったこの小名浜で、しかし田村は、映像を武器に自分のやりたいことをひとつひとつかなえている。田村から出てくる言葉に、この町で「ものづくり」をすることのヒントが転がっていた。

 

最後に、「フリースタイルの魅力」について聞いた。「フリースタイルって、もっかいやってって言ってもできないことの連続。だからこそ面白れえんだよ」と田村。フリースタイルとは、その分野において、形式の制約がない、あるいは制約が少ないものをさす。自由で型がないから、「その人らしさ」が随所に表れるとも言える。田村が撮り続けてきたのは、「競技」ではなく「競技者」だったと言えないか。人の歩みを、人の輝く時を記録し、保存する。そんな「人の味がするもの」がフリースタイルなのかもしれないと、田村と話していて思った。

 

田村は今、フリースタイルスポーツだけではなく、小名浜在住のクリエイターの制作風景や、花火の映像なども撮るようになっている。自分にとって面白いものを撮り、保存していくスタイルは変わらない。田村が感じる「おもしれえ」が、田村の興奮や心の高ぶりとともに、保存されていく。そしてそれが、小名浜の歴史を作っていくのだろう。田村が撮り続ける小名浜の10年後、20年後が、今から楽しみで仕方がない。 フリースタイルな小名浜がきっと、そこに記録されていることだろう。

 

text and photo by Riken KOMATSU

profile  

田村 博之  Hiroyuki TAMURA

1979年いわき市小名浜生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊し郡山駐屯地配属となる。スノーボードに集中するため自衛隊を辞め、カナダ西部のウィスラーへ。日本へ帰国後、サラリーマンをしながらFMXやサーフィンの映像を撮り始める。2010年、OUTBACK film設立。第一作『chocolate』を発表し、現在に至る。

BLOG : http://ameblo.jp/outbackfilm/     
Twitter : http://twitter.com/#!/OBFtam

 

OUTBACK FILM

〒971-8151 福島県いわき市小名浜岡小名3-6-13
outbackfilm@gmail.com 

YOUTUBE : http://www.youtube.com/user/OUTBACKFILMjp

 

 

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