三ヶ月を前に

Re:write vol.10 / text by hina

 

東日本大震災から、もう3カ月が経過します。あの3月11日を境に、私たちの暮らしは大変なものになってしまいました。私の住んでいる小名浜は漁業関係の人が多くいるので、今回の地震、津波、原発事故により、多くの人々が職を失い、風評被害なども受け、経済的にも苦しくなっています。

 

身近な私のクラスメートでも、親の仕事がなくなり、収入がまったくない友だちもいます。でも、そんな状況に置かれても、学校で楽しくやろうとする友だちの姿を見ると、私は元気が出ます。そうやって被害者同士で元気を分け合いながら生きていくことを、この震災で改めて気づかされた気がします。

 

私は、吹奏楽部に入っているので、今年で最後のコンクールです。しかし、残念なことに、震災の影響でアリオスという文化交流館で行う予定が、小学校の体育館で行うことになってしまいました。最後のコンクールが体育館なんて、嫌です。

 

この震災で、断水、停電、食料不足、避難生活。断水になってお風呂に入れない辛さ、停電で真っ暗になってしまう恐さ、食料不足で味わった空腹の悲しさ。被災していない人にとっては、ごく普通の1カ月や2カ月だったのかもしれないけれど、私たち被災者にとっては、とまどいの連続でした。デマや誤報もたくさん出回りました。今思い返してみると、ウソの津波情報、地震情報、放射性物質の防ぎ方。本当にたくさんのデマや誤報に振り回されていたように思います。

 

 

 

今は、余震もだんだん落ち着いてはきたけれど、地震に敏感になった私たちは、本当に少しの地震でも「あっ、地震!」と、びくびくしてしまいます。また、避難の日々になるのではないか。いくら口では平気だよ、と言っていても、正直、恐いんです。でも、私たち中学生はなんとなく強がりたいんです。こんなの恐くないよ、こんなの平気だよって。

 

でも、それは本音とはほど遠く、ただの強がりなんです。本当は、もうこんな思いしたくないし、もう避難もしたくない。ここで落ち着いて、また前みたいに暮らしたいんです。でも、それはしばらく不可能に近いと、私たち中学生はわかっています。

 

福島県の放射線の問題は、日本国内、いや世界に大きな影響を与えています。たぶん私たちが大人になるまで続くでしょう。そうしたら、誰も好き好んでこの町には来なくなり、もしかしたら、この県、この町は過疎化してしまうのではないでしょうか。最近、そんなことを考えてしまいます。

 

私の生まれたこの町が将来、ゴーストタウンになっていたら、どんなに悲しいでしょう。絶対に、そんな町になってほしくはないです。そのためには、国や県が正確な情報を伝え、原発が落ち着くのを待つしかありません。不安な日々がなくなることを、みんなで願いましょう。そして、どんなに苦しくても、みんなで励ましあって、生きていきましょう。

 

2011.6.8 up

profile 姫那(ひな

1997年いわき市小名浜生まれ。市内の中学校に通う中学3年生。趣味は音楽鑑賞で、嵐と西野カナを愛聴。将来の夢はヘアメイクアップアーティスト。現在は、『朝日中学生ウィークリー』の特派員を務め、いわきの情報を全国に発信している。

 

 

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コメント: 1
  • #1

    長野から (木曜日, 09 6月 2011 11:12)

    以前から、栃木の両親が小名浜に魚介類を食べに行ってました。
    GWに小名浜で泥カキボランティアに参加した話をしたら、
    被災を本当に残念がっていました。
    小名浜に一緒に行こうと誘った時に、
    復興作業の中、「物見遊山で出掛けたら、迷惑をかけてしまう」と
    言ってましたが、
    それは違うみたい。どんどん来てほしいみたいよ。
    と、話しておきました。

    また、行きますね。

    他人事にしてしまって、苦しいことをすべて、
    福島の方々に背負っていただいてしまってる現状
    (原発に関しては、特に)
    申し訳ないと思ってます。
    少なくとも、県外にも、貴方方の事を想う者がいることを
    知っていただきたくて、コメントしました。