都心で母を想う

Re:write vol.3 / text by Reiko

 

20110311。

 

都心にある建物の7階のメイクアップルームで、食後のマウスケアを終えたところだった。グワーンと大きな横揺れが左右にゆっくりと長く大きく続いた。思わずしゃがみこむ。隣の女性が私の腕にしがみついてきた。お互いからだを支え合いながら身体をこわばらせながら耐えていた。おもわず私は「震源地はどこだろう」と声高に叫んでいた。そう、いわき市小名浜ではないかとの思いがよぎったのだった。

 

揺れが治まるのを待って、3階のTVのある休憩室へ急いだ・・・。速報、やはり震源地か。小名浜の実家では、高齢の母が一人暮らしをしている。家も築が深いし、一瞬「もう駄目だ」と目の前にシャッターが下りた気がした。

 

仕事中だったため、1階の売り場に戻らなければと足早に階段を駆け降りた。きっと売り場は商品がめちゃめちゃに散在しているだろうと考えながら・・・。しかし、耐震構造がしてある巨大な建物の1階は、壊れた商品は1個だけ。ディスプレイされた商品は何事もなかったように整然と並んでいた。社員たちはお互いの安全を確認しあいながらも、地震の時の状況をかみしめるように話し合っている。話すことで不安を薄めようとするかのように。

 

店内は、上の階から1階へ避難してきた買い物客であふれている。しかし、皆無言でしゃがみ込んで、「この建物は耐震構造なので大丈夫です。係の誘導に従って落ち着いて行動してください」と流れる店内放送を聞いている。何百人いるだろうか、売り場の社員たちは通路に椅子を並べ、お客様の休憩場所を提供している。

 

大きな揺れが納まって2時間が経過した頃だろうか、都心の電車が全てストップしていると店内放送が流れ、それと同時に閉店のアナウンスが流れた。店内のお客様はすべて屋外へ出てもらうらしい。外は寒いし、もううっすらと暗くなっていた。「車いすの女性もいるのに非情な仕打ちだ」との声が社員から漏れてくる。お客様たちは不安と途方にくれる気持ちをおさえているのだろうか、不満の声が上がらないのが不思議なくらいの静けさで、屋外へと出て行かれた。

 

今度は社員の帰路についての心配が残る。交通機関がすべてストップしているので、大半の社員は家族の安否を気遣いながら、繋がらない携帯電話で連絡を取るのに必死だ。ほとんどの社員は店内に宿泊することを選んだようだ。


私は、家族が車で迎えに来てくれるとの連絡が入ったので、社外で待つ事にした。外は帰宅難民であふれかえっている。タクシーを待つ行列は何十メートルも続いている。都心は、人の黒い大きな塊と車で埋め尽くされていた。そんな混乱の中、奇跡的に迎えの車に乗り込むことができた。


車中では、いわき市の家族、宮城の親類への安否の電話をかけまくる・・・・何十回もかけて繋がるのをあきらめられない。メールは繋がるが声が聞きたい一心で。繋がった。母と実家は大丈夫。親戚の家は津波で流されたが皆無事。一安心して、夕飯も忘れてベットへともぐりこんだ。

 

 


あの日から、私の日常はいわき市の母の心配をするだけとなった。電話で近況を聞くと、母は自分のことより東京の被害を心配してくれる。「小名浜は水が出ないが、3食食べているので大丈夫だ」という。母を元気づけるために電話しているのに、呑気な母の言葉に救われて逆に元気をもらう。親はいつでも子供の幸せを願うのだろう。ありがたい。

 

実家には、兄の家族が猫を連れて応援に来ていると聞いているので少しは安心だが、母は猫が大嫌いなはず。思ったとおり、電話で猫の話しか出てこないのも私の苦笑を誘う。だが、一言母がもらした「こんな苦労は初めてだ」という言葉。これが被災地の本音だろう。東京へ避難してくることを勧めてみたが、家を離れることはできないと言い切る母。


東京にいて私ができることは何だろうかと考えて、まず小さな行動を起こす。震災後、すぐに母の好きな魚の缶詰、和菓子、レトルト食品を大量に購入して送ろうかと思ったが、クロネコヤマトの集積所から断られた。被災地へは現在受付してないとのこと、システムが混乱していてどうにもならないという。どうにかならないかとクロネコヤマト本社にも問合せをしてみたが、電話さえ繋がらない状況。

 

次にできること。ネットワークを使って何かできないかと考え、twtterからの情報を得て、いわき市小名浜地区の物流、ライフラインの回復要請のツイートを拡散する。こんなことしかできないが、なにもしないでいるよりはよかろうと考え、PCの前で被災地の情報を収集するのが日課になった。


あの日から毎日余震が続いている。ほとんどいわき市が震源地・・・・。心配は尽きないが、いわき市の皆さんの心丈夫なtwitterで元気をもらう。臆病で心配性の私は、文字を追うことしかできませんが、どうか、母の住むいわき市に活気あふれる平穏な日々が一刻も早く訪れますようにと心から願うばかりです。

 

 

2011.4.18 up

profile Reiko

いわき市小名浜生まれ。小名浜二中、湯本高校を経て東京の短大へ。卒業後、出版社や広告代理店を経て、現在は流通の会社に勤務している。

 

 

<< next  /  previous >>

<< essay top