おなはまことば

tetote essay vol.5 / text by Reiko

 

私の実家は小名浜の港の近くにあります。両親はシルバー世代ですが、なんとか元気に暮らしております。我が家は新興住宅地住民なので、根っからでの小名浜人ではありません。父は東京育ち、母が福島育ち、そんな二人が出会い、小名浜に住み着いてしまったわけです。

 

その昔、父は小名浜弁に通訳が必要だったらしく、家に帰ると「子どもたちが『いっしゃ、にしゃ』って言っているけどどういう意味?」って聞いてきました。「君、あなた」という言葉も父は理解できないなんて驚きでしたが、当時は標準語を使える父が自慢でもありました。

 

 

小名浜に住んでいるときは気にならなかった、いわゆる福島弁というか小名浜弁は、東京暮らしが長くなってしまった今では、浜通の言葉をテレビなどで聞くと「訛り」が懐かしくもなりますが、東京に出てきた当時は小名浜弁が恥ずかしくてたまりませんでした。語尾あがり、「〜だっぺ」は最強です。

 

私が上京したときのこと、父が我が家で標準語を使っていたので、自分には訛りがないと自負していたのですが、上京して1年後くらいに、知人から「最近訛りがなくなってきたね」と言われたのには驚愕でした。そうです私は、小名浜弁がコンプレックスだったのです。当時、本籍地が東京だったこともあり、自己紹介の場面では「本籍は東京ですが、出身地は福島です」などと言っていたものです。

 

東北訛りの田舎者に見られるのがいやで恥ずかしくて仕方なかったのです。そんな偏ったプライドもった私ですが、今では出身地を聞かれると「福島の小名浜です」と普通に答えられるようになりました。

 

 

そのきっかけになったのは、百貨店でオペレーターの仕事をしていたことでした。先輩に発音を直されながらも、都心でアナウンスを勤めあげられたことが小名浜弁コンプレックスを払いのけてくれたのです。

 

小名浜弁に対するこんな非道な感情を持つ娘を持つ父は、逆に今では標準語が抜けて根っからの小名浜弁での話を普通にできるようになっています。努力して、ではなく、普通に馴染んだのでしょう。その昔、父から聞かされる話と言えば、浅草の話や原宿が野原だった話など、東京の話ばかりだったのですが、いつの頃からか、ららミュウの話、水族館のサンマの話、マリンタワーの話を楽しそうにするようになっていました。

 

以前は東京だった父が、今では小名浜がふるさとになったようです。

そして私も、夏には「ふるさと」小名浜へ帰ります。

 

2010.5.7 up

profile Reiko

小名浜第二中学校、湯本高校を経て、東京の私立の短大を卒業。卒業後は、百貨店、出版社、新聞社を経て現在フリー。

 

 

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