小名浜という場所

tetote essay vol.13 / text by sahara

 

自分にとって小名浜はどういう場所なのだろう。

 

201117日、この日は「千と千尋の神隠し」が久しぶりにテレビ放送される日だった。小名浜に関するエッセーを書いてみないか、という話をいただいたのはその放送30分前のこと。さて何を書こうとりあえず映画を見終わってから考えよう。そう思って見始めたものの、映画冒頭の千尋のお父さんの一言が、このエッセーの口火を切ってしまった。

 

 

千尋の家族が引っ越し先の田舎へと向かう車内。

母「やっぱり田舎ねぇ。」

父「住んで都にするしかないさ。」

 

 

この「住んで都にする」という言葉がやけに耳についた。この映画はDVDも持っているので何回もくり返し見ている。それにも関らず、この会話には初めて聞いたような新鮮さがあった。何故だろう。映画を見ながらぼーっと考えていると、思いのほか早くその原因が分かった。原因は、ここ1年で地元小名浜に対する想いが大きく変化したことにあると。

 

2010年、その変化には2つのキッカケがあった。

 

1つ目のキッカケは、20104月から始まった卒業設計。私は現在、宇都宮大学の建築学科の4年生である。建築学科には卒業試験として卒業設計(卒計)なるものが課せられる。それは大学4年間の集大成として、設計する建築から対象敷地まで全てを自ら設定して、その建築や場所に自分の想いを描くものである。

 

私は敷地に小名浜港を選んだ。しかし、それは紆余曲折を経ての選択であって、地元小名浜を良くするんだ!みたいな強い想いがあってのものではなかった。小名浜は好きだ。でも、自分が将来生きていく場所としては良く思えなかった。将来小名浜に戻ることはネガティブな選択肢の1つとさえ考えていた。

 

そんな小名浜といきなり面と向き合うことになり変な後ろめたさを感じながらも、まずは敷地の調査を始めた。

 

初めて「小名浜」をネットで検索した。地図を片手に歩いてみた。驚きと発見の連続だった。知らないことが多すぎて小名浜が自分の地元じゃないような感覚を味わった。これはまずいんじゃないかと思い、もっと調べたかったが設計もしないと間に合わない。結局、調査をそこそこに引き上げ設計へ。

 

小名浜港にある倉庫群のコンバージョン(用途変換)による美術館を設計して、大学からもそれなりの評価をいただいた。しかし、その評価とは裏腹に自分が今まで小名浜と面と向き合わずに避けていたことを自覚し、それを恥じるかたちで卒計は幕を閉じた。

 

 

2つ目のキッカケは、201010月に設立した地域活性化団体iups。卒計が終わって夏休み。地元へ帰りいつもの友人2人とびっくりドンキーで食事をしていたときのことだった。「いわきを盛り上げるために団体をつくって、まずは12月にイベントをやりたい。佐原も卒計で小名浜を取り上げたのだから同じ気持ちだろ? 一緒にやろう!」という具合で誘われたのだ。

 

卒計で小名浜を取り上げた気持ちに関しては「多少の誤解」があったものの、卒計を通して自分の意識が地元に向き始めているのは確かだったので、再び地元と向き合う良い機会だと思い、地域活性化団体iupsを友人と共同設立することになった。

 

iupsでの活動は刺激的な初体験だらけだった。さまざまな出会いや議論は、自分が将来生きていく場所に求めるものは何か、自分にとっての満足とは何かを真剣に考えさせた。そして、小名浜は「住めば都な場所」(受動的)ではなく「住んで都にする場所」(能動的)と考えると、無いものは多いが可能性のある豊かな場所だと思えた。

 

将来生きていく場所としてネガティブに捉えていた小名浜を、そんな風に思えるなんて1年前は全くもって想像できなかったこと。小名浜への気持ちの変化は明らかだった。

 

小名浜への意識が高まる一方で明らかになったことがある。

 

自分の卒計がいかに小名浜を理解していない自己満足的なものかということである。それに気付いた現在、あの時とは違う想いでその設計を一からやり直している。やり直したところで学校から再び評価されることはないし、実現するものでもないので無駄な労力かもしれないが、素直な衝動でやれることはそうない。小名浜で建築を考えること。今はそれが素直に楽しいと思う。

 

この設計が終わったら、小名浜の人たちに見てもらえる機会をつくりたい。大学の教授ではなく、小名浜の人たちの生きた声を聞きたいと思っている。その声は、自分と小名浜の関係を考える新たなキッカケになるはずである。

 

と、ここまでいろいろと書いておいてアレなのだが、将来自分は小名浜に戻ると固く決心しているわけではない。まだ大学生。これから先、何があるかなんてわからない。もしかしたら小名浜どころか日本で暮らさないかもしれない。

 

ただ、卒計とiupsを通して、「住んで都にする場所」としての小名浜の可能性と豊かさに気付き始めた今では、将来小名浜に戻ることはネガティブな選択肢ではなく、ポジティブな選択肢の1つになっている。

 

いま、自分にとって小名浜はそういう場所である。

 

2011.1.28 up

profile  sahara

1988年小名浜生まれ。小名浜一中、湯本高校を経て、宇都宮大学工学部建設学科建築学コースへ進学。現在4年生。来年度から宇都宮大学大学院へ。2010年10月に地域活性化団体iupsを共同設立。

Twitter : sahara971

 

 

<<NEXT   /   PREVIOUS>>