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FEATURE

ロクディムが置いていった即興という名の土産

posted on 2012.8.10


 

関東地区を中心に即興芝居の活動を続けているパフォーミングアート集団のロクディムが、小名浜のオルタナティブスペースUDOK.で初公演を行った。劇団の主宰でありいわき市出身のカタヨセヒロシ、共同で主宰をつとめる渡猛たっての希望で実現した今回の公演。漁業がいまだ復興の兆しを見せないなど明るい話題の少なかった小名浜に、7月末の夜に吹いた「笑いの風」は、小名浜に暮らす人たちの心に、確かな「足跡」を残していった。

 


いわき市小名浜の商店街の片隅に響く、時代はずれの笑い声。ガラス扉からは熱気が漏れ出している。その奥には、スポットライトに照らされた5人のアーティスト。観客はただ1カ所、ステージの上を凝視している。凝視の先にあるのは「演技」ではなく、「人間そのもの」。7月30日、夜。お祭り以外で賑やかになることなんてしばらくなかった東北の港町に、幸福といっていい時間が、確かに流れていた。

 

台本も脚本もない、即興の劇。たしか、事前に知らされていた情報には、「お笑いとコメディの中間」と書いてあったと記憶している。ところが、私が目の当たりにしたのは、お笑いやコメディの中間どころか、その先にあるものだった。なんというか、これは劇とかコメディとか、そういうジャンルを超えてしまっているのだ。台詞も脚本もないから、そもそも「演じる」必要がない。舞台上にあるのは、その人そのもの。

 

即興劇とは残酷だ。台詞の言い回し、表現力、体の動き、ひらめき、すべてが露呈してしまうのだから。さきほど「演じる必要がない」と書いたけれど、その人から出てくるのは自分そのものでしかない。力強さも弱さも、すべて観客の前にさらけ出すことになる。だから、真剣で、滑稽で、感動的なのだ。当日、会場のUDOK.には扇風機がひとつしかなかったが、会場に熱がこもっていたのは、そのせいだけではないはずだ。

 

もちろん、個を発揮するだけでは、物語はうまく進んでいかない。劇は、アーティスト自らがシチュエーションやNGワードなどを設定することで始まっていく。自由なようで、誰かの台詞に込められた真意を探り、次の展開に求められる言葉を頭の中で捻り出さなければならない。強烈な個をぶつけあう中で、チームワークも求められる。舞台上の全員が、笑っているようで、しっかりと口や目や動作を見ていたのが印象的だった。

 

冒頭のあいさつから観客の心をがっちりキャッチ。
冒頭のあいさつから観客の心をがっちりキャッチ。
即興劇は、個と個のぶつかり合い。しかし、誰かのボケや台詞を拾うきめ細やかさも求められる。
即興劇は、個と個のぶつかり合い。しかし、誰かのボケや台詞を拾うきめ細やかさも求められる。

 

ロクディム主宰のカタヨセ、渡の2人は、公演のためにかなり入念な準備をしてきた。それは、個人の演技力やチームの総合力以上に「会場」が鍵を握ると考えていたから。事前の打ち合わせで、会場となったUDOK.のスタッフと空間のイメージを共有するだけでなく、UDOK.がどのようにして生まれたのかという歴史にまで踏み込んだという。2人は、会場もまた1人の俳優だと考えていたのだろうか。

 

すべての劇の後にトークセッションを組み込んだのも初の試み。「被災地」と向き合い、小名浜の人と言葉を交わしたいという2人の主宰のアイデアだ。カタヨセは言う。「小名浜の人たちがいなければ、今日のすばらしい雰囲気は出すことができなかった」。そんな言葉の熱に溶かされたのだろうか、小名浜の人たちも少しずつ言葉を吐き出していく。ひょっとするとこれも、個と個のぶつかりあい、つまり「即興劇」なのかもしれないと感じた。

 

そして、最後に行われた打ち上げ。関係者も会場に残った観客も一緒になって、祝杯をあげる。地震やその後の苦しい生活の話、表現や創造性の話、小名浜や平やふるさとの話。そんなふうに、席ごとに話題ができあがり、皆が熱っぽく語る。話は深夜1時まで続き、皆で会場の後片付けをするころには、観客も俳優も、福島も東京もなくなっていた。分かれ惜しそうに握手を交わす人たち。幸福な時間の、流れの速さを思う。

 

会場にびっしりと埋まった観客。舞台上を見つめるその瞳は、どれも幸福そうだった。
会場にびっしりと埋まった観客。舞台上を見つめるその瞳は、どれも幸福そうだった。
ロクディム主宰のカタヨセヒロシ。いわき市出身だけに、公演に寄せる想いはひときわ強いものがあった。
ロクディム主宰のカタヨセヒロシ。いわき市出身だけに、公演に寄せる想いはひときわ強いものがあった。
時には観客を舞台に上げ、劇を進めていくが、“素人” が入ることで、笑いがさらに予想不可能なものになっていく。
時には観客を舞台に上げ、劇を進めていくが、“素人” が入ることで、笑いがさらに予想不可能なものになっていく。

 

ロクディム小名浜公演を終え、私はなんの根拠もなく小名浜の将来は明るいと感じた。なぜなら、ここには、強烈なまでの「個」のぶつかり合いがあったから。皆、自分の心をさらけ出して、言葉をぶつけ、慰め、時に同意し、オチはつかなくとも、ひとつひとつの物語に何かしらのケリをつけていく。トークセッションも打ち上げも即興芝居もみんなみんな、私たちみんなでつくったものなのだ。

 

どこまでも「個」が露呈してしまうという即興芝居。自分をさらけ出すことなんて、本当は恥ずかしくて誰もしたくはない。私だって、自分の文章力のなさがバレてしまうから、こんなところで文章なんて書きたくない(涙)。でも、恥ずかしいから、努力もするのだ。そしてそのぶつかり合いが、チームワークも生む。「ロクディム」を「小名浜」や「いわき」に置き換えて、考えてみる。

 

「自分」をさらけ出す。そこに、滑稽なまでの真剣さと、だからこその「笑い」が生まれる。そのことを、ロクディムは教えてくれた。もしかすると笑いとは、真剣に何かを行った者のみに訪れる最高のご褒美なのかもしれない。そうだ。今私たちに求められているのは、まさに「即興芝居」なのだ。台詞や脚本なんて要らない。それぞれの「個」がぶつかりあえばいい。そして、その舞台は、あなたの目の前にも、準備されている。

 

information

ロクディム

即興芝居・即興コメディを中心に、即興パフォーマンスを展開している、男7人による「即興パフォーマンス・ユニット」。関東地方の小劇場やスペースなどで公演を続けている。主宰のカタヨセヒロシは1978年いわき市生まれ。日本では珍しい「コンタクトインプロ」のダンサーとしても知られ、東京を中心に、福岡、熊本、宮城、島根など各地で積極的にダンス公演に出演している。

ロクディム : 6-dim+ 公式ウェブサイト

 


text & photo by Riken KOMATSU


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