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復興祭。小名浜が揺れた日

posted on 2011.10.4


 

いわき市全体で復興への狼煙を上げようという「がんばっぺいわき復興祭」が、いわき市湯本の21世紀の森公園で行われた。市内の飲食店や食品メーカーなどによる盛大な物産展が開かれる中、「第30回いわき踊り大会」も開催され、小名浜から、オルタナティブスペースUDOK.と、地域活性団体MUSUBUが中心となったいわき踊りチーム「team ONAHAMA」が出場。千人の踊り手に混じり「小名浜」が、揺れた。

 

 

いわき踊りは、いわきで生まれ育った人なら誰でも知っている夏の風物詩。毎年8月、市内の各地で、地元企業などが参加して盛大に行われる「盆踊り」のような踊りだ。各地の小学校の運動会などでもたいてい踊られているし、部活のメンバーなどで参加する生徒たちも多く、老若男女問わず参加できる「市民参加型」の踊りとして認識されている。普通の盆踊りと違うのは、それが「大会」であること。市内各地の予選を勝ち抜いたチームがグランプリを争う本大会は毎年いわき駅前大通りで開かれ、5万人を超える観衆が集まる。

 

しかし、震災の影響で夏祭りは自粛ムード。いわきの夏の風物詩も例外ではなかった。市内では、ただ1カ所小名浜でのみ行われたものの、やはり、駅前大通り本大会の賑わいには遠く及ばず、暑い日が続いた今年の夏の熱気がいわき市民の心に届くことはなかった。そんな中で今回行われた今回の「復興祭」、そして「いわき踊り」。この日を待ちわび、いわき踊りのかけ声「どんわっせ!」を叫びたくて心底うずうずしていた人たちも、少なくなかったはずだ。

 

team ONAHAMAは、そのいわき踊り大会に出場するために結成された。小名浜出身者が中心となり、震災直後からボランティア活動に取り組んできた地域活性団体MUSUBU。そして、本町通りの一角にスペースを構えるUDOK.のメンバーが中心となっている。ユニフォームの制作などのイベントを企画しながら、大会1ヶ月ほど前からチームの募集を始めてきた。当日は、遠くは名古屋からやってきた小名浜出身者、東京在住で震災ボランティアを通じて小名浜と縁を持った女性など、およそ20名のメンバーが集まった。

 

事前に制作していたお揃いのユニフォームでの出場!
事前に制作していたお揃いのユニフォームでの出場!
前半25分、後半25分の長丁場。全員が汗だくで踊り続ける。 photo by KEN
前半25分、後半25分の長丁場。全員が汗だくで踊り続ける。 photo by KEN

 

踊りは、前後半25分ずつ。間に5分の休憩を挟むが、ほとんど1時間踊りっぱなしである。今年は「コンテスト形式」ではなかったものの、例年だと、踊り手の姿勢や動き、声の威勢の良さなどさまざまな審査基準によってグランプリが選ばれる。踊りのステップは5分もあればマスターできる簡単なものだが、格好のいいステップを1時間続けるのは容易ではない。この日も、初めは威勢のいい踊りを披露していた人が、10分20分と踊るうちに息も絶え絶えになっている姿が見られた。これもまた、風物詩なのであるが(さらに言うなら筆者自身なのであるが)。

 

駐車場に作られた踊り用のスペースにはおよそ15チームのメンバーが処狭しと並び、それぞれがオリジナルステップを披露するなどして会場を盛り上げる。戻りガツオをモチーフにしたそろいのユニフォームを着たteam ONAHAMAも存在感を見せた。特に、この日のために、高木市之助、フィル・ベイリー2人の小名浜在住アーティストがデザインしたTシャツには、多くのカメラマンがレンズを向けた。

 

はじめは身が若く硬いものの、遠くの海を泳ぐうちに脂が乗り、一番うまい状態でいわきに戻ってくる「戻りガツオ」。そのTシャツに描かれたそのカツオには、いわきから離れてしまった多くの人たちが戻ってくるようにとの祈りが込められている。震災で離れてしまった人たち。進学や就職で上京していった若者たち。いわきを離れてみたからこそ見えるもの、たくさんの経験。それを持ち帰ってきてくれる人が多ければ多いほど、小名浜にも活気が生まれる。そんな高木のメッセージのパワーが、ひとりひとりのメンバーにも乗り移ったようだった。

 

のどの枯れる後半は精神力勝負。お祭りというより、むしろ競技会だ。
のどの枯れる後半は精神力勝負。お祭りというより、むしろ競技会だ。
小名浜本町通り「つるや染物店」に特注された見事な大漁旗が殿をつとめた。  photo by KEN
小名浜本町通り「つるや染物店」に特注された見事な大漁旗が殿をつとめた。 photo by KEN
Tシャツだけではなく、その華麗なステップで異様な存在感を見せたteam ONAHAMA。 photo by monaken
Tシャツだけではなく、その華麗なステップで異様な存在感を見せたteam ONAHAMA。 photo by monaken
team ONAHAMA。名古屋や東京からこの日のために集まってくれたメンバーも。
team ONAHAMA。名古屋や東京からこの日のために集まってくれたメンバーも。

 

足腰は悲鳴を上げる。喉も痛くなる。それでも、同じような笑いやリズムを共有するうちにチームに一体感が生まれ、疲労を乗り越えた先にあるハイな領域へと皆が向かっていく。終了の合図とともにハイタッチしあい、汗を拭う。皆で何かを成し遂げたという達成感がチームに溢れ、火照った体がとても心地よかったのを覚えている。「また来年もみんなで踊りたいですね!」。遠方から来たメンバーがそう語ったときの、満足そうな笑顔が印象的だった。

 

未曾有の大震災、浜辺の町に壊滅的な破壊をもたらした大津波。そして、原発事故。幾重にも重なる苛烈な現実に、多くのいわき市民が苦しみ抜いてきた。あれから半年。こんな気持ちで踊り終えられたことに、驚きと感動を禁じ得ない。「来年もまた踊ろう」。ふるさとへの愛情を抱かせてくれた以上に、私たちの目を来年へと、未来へと、何気なく向けさせてくれたいわき踊り。ふるさとに、こんな踊りがあったということを改めて誇りに思った人は、私だけではないはずだ。

 

そして何より、「小名浜」というキーワードに、出身者だけでなく、今までなんの縁もなかった人たちがつながることの温かさ。町の景観やうまい魚介類という観光資源だけではない、そう、「つながりの生まれる町」小名浜。人と人とが手を繋ぎ、そして町が、人が活気づいていく。そんな「つながりの環境」が、いずれ近いうちに小名浜の名物になるのではないか。そんな期待を抱かせる「どんわっせ」だった。

 

text & photo by Riken KOMATSU


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