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FEATURE

コラージュと福島の風通し

posted on 2012.10.26


 

今年8月、いわき市小名浜のオルタナティブスペースUDOK. で、コラージュ作家・佐藤洋美の家族展が開かれた。家族展の名前は「Windoor」。佐藤家にまつわる「風と窓」の話を佐藤本人に伺うと、おしゃべりのつもりが、展示のこと、コラージュのこと、福島のこと、家族のこと、いろいろなことに話が及んだ。彼女のゆったりと熱のこもった話しぶりを思い出しながら、彼女と話したいろいろなことを書き記しておこうと思う。

 

 

佐藤はよく話す。おしゃべりというわけではない。自分の思いをしっかりと伝えようとする性格なのか、ゆっくりと言葉を選んで、時に熱を込めて話すのだ。僕は、佐藤と話すのが好きだ。なぜなら、彼女の考えがよくわかるから。よくわかると、作品に込められた思いやアイデアや、その奥にあるものにも触れることができそうな気がするから。なんというか、距離が縮まったような気がするのだ。作品を鑑賞するとき、作家とよく話すことの大事さを、彼女へのインタビューで学んだ。

 

 

ー家族展開催のいきさつ

 

震災後、東京と福島を何度も行き来するなかで、2つの場所の温度差をすごく感じていました。あくまで自分の周りの環境での話になってしまいますが、東京では、さまざまな情報がネット上に溢れて、何を信用したら良いのか分からず、とても混乱していました。福島に帰ると、個人の想いを聞くことはできる反面、統制されたニュースから、今後暮らして行くなかで「安心したい情報」を取り入れているような、東京と福島で、たしかに温度差がありました。 

 

そういう「言葉の温度差」を日々もどかしく感じるなかで、今年のお正月帰省した際に父の年賀状を見せてもらいました。そこに昇り龍と福島の絵柄があったんです。とても色鮮やかで、本当に明るい福島の姿が描かれていました。弟とふたりであまりのパワーに圧倒され、一言「すごいね」と。

 

震災後、母だけが福島で暮らしている期間が長くあって、それで楽しいことがしたいって習いことをはじめていたり。それで、「ああ、言葉だけじゃないよな」って気づいたんです。元々、互いに想いを言葉で伝えることが苦手な私たちですし、1人でなく家族4人でやることで伝わる想いもあるかもしれないと思いました。 

 

震災後、家族の生活拠点もバラバラでしたし、1つのことに向かい一緒にやるのは私たち家族のためにもいいと思いました。その頃、東京のギャラリーの方に「東京と福島のあいだにいるあなたの想いをどんな形であれ伝えてみたら」と言っていただき、どうしたらいいか悩んでいたんですけど、父からの年賀状をきっかけに家族展をしたいと思ったんです。

 

弟にもそのことを話したら、いつもはぶっきらぼうに私の話を断るのに、そのときは「ああ、やろう」って。すごく嬉しかったですね。それで、3月に東京・荻窪で展示をしました。何より、普段は聞くことのできない制作においての考えを互いに知ることができて、その過程が幸せでした。ようやく親と子の関係から、1人の人間同士の対話ができて、そうなると面白いことに素直な言葉もぽんぽん出てくるようになって。 

 

タイトルの「windoor」というのは、「window」「door」という2つの言葉を組み合わせたものです。窓とドアを開けると換気されますよね。というのも、今までは毎週日曜日の朝になると「換気」をする父の姿が日常風景でした。「朝だ! 換気だ!」って窓を開けて、寒い寒い言いながら起きて、それがほんとうに佐藤家の日常だったんです。でも、原発の事故以来、父の換気はなくなりました。洗濯物も家の中に干されていました。

 

「震災」「原発」などの言葉は使いたくない、というのがまず最初にありました。震災前、震災後で見たらいろんな物事が変わったけれど、それを分けずに、「私たちの日常はあくまで「日常」です。」っていう、ただ流れる風景や日常だけを伝えたかったんです。それで、いろんな意味合いを含めて、「風」のことをなんとなく考えていました。そして帰省したある日、母と話していたら「風通しのいい家族になりたいね」ってつぶやいて。その時は本当に驚きました。へその緒繋がってるなーと。「風」が私たちを繋いでいるような感覚になりました。


UDOK.での展示の様子。佐藤は1人ひとりに声をかける。
UDOK.での展示の様子。佐藤は1人ひとりに声をかける。
佐藤の母による作品。平面の作品が多い中、空間にゆたりをもたせるような陶芸の作品が目を引いた。
佐藤の母による作品。平面の作品が多い中、空間にゆたりをもたせるような陶芸の作品が目を引いた。

 

家族展では、原発事故を通して佐藤家が向き合ったものが、静かに作品の間を縫うように流れている。立場は違えど、「福島県に暮らす家族」の思いを共有できる人は多いのではないだろうか。佐藤は今回、キュレーターとして家族の作品を選び、壁に展示する役割も担った。作品に込められた家族からのメッセージを、誰よりもよく理解しているはずだ。「家族」や「福島」ともっとも真摯に向き合ったのは、佐藤本人かもしれない。

 

 

ー展示について

 

やっぱり、福島でできるのはうれしいです。福島と東京では、展示の空間が全く違いますね。どちらも昔の風景画から、震災後に制作したものまで、順序ばらばらに並べましたが、東京では古家具が置いてある雰囲気のあるギャラリーだったので、本当に部屋の様な空間構成にしました。たくさんのお客さんに来ていただきました。ただ1人ひとりの方とじっくりお話をする時間がもう少し取れたらなと良かったですね。

 

UDOK.では、白くて抜けた空間で、福島の人の言葉をゆっくりと聞き、いろいろな話を私の方からもすることができました。 私はついつい作品に物語をつくってしまう人間なので、こうしてゆっくり時間を取れたことは本当によかったと思います。福島で育ったから、「住んでいるからこそわかる」感覚ってあるじゃないですか。皆さんの話を聞いていて、中通りと浜通りでも環境は違えど、「思いは一緒だな」っていう安心感がありました。東京で暮らしている自分は、福島のことをどう話せばいいのかとか、何故かこみ上げる罪悪感みたいなものに駆られることもありますし。 

 

今回の展示で特に印象的だったのはご近所に住んでいるご家族3人だったんですが、帰り際、娘さんが「はじめて福島に生まれてよかったと思いました」って言っておじぎをして帰っていったんです。その時は「ありがとうございました!」としか言えなかったんですが、後からじわじわと込み上げてきました。 言い方が本当にさらっとして、だからこそものすごく響きました。今この原発問題があって、この環境で暮らしていく中で見てもらい、言ってもらえた。これからも続けていこうって、力をもらいました。


佐藤のコラージュ作品「福島県」
佐藤のコラージュ作品「福島県」
震災を伝える新聞の上に、子どもたちの作品が作られていく。変えることのできない過去の上に、「今」が上書きされていく。
震災を伝える新聞の上に、子どもたちの作品が作られていく。変えることのできない過去の上に、「今」が上書きされていく。

 

佐藤の作品の中に、「福島県」という作品がある。どこからか集めてきた素材が、張り合わされたり上に重ねられたりして、佐藤にとっての福島県が形作られている。さまざまなことがらが複合的に、多重的に起きる福島の今。それを汲み取りながら、さらに歴史や時間といったレイヤーが重ねられ、平面なのに奥行きのある福島が描き出されていた。

 

佐藤と切り離すことのできない「コラージュ」。

佐藤はその表現とどのように出会い、どのように向き合ってきたのだろうか。

 

 

ー佐藤が語る、コラージュの効能

 

コラージュを始めたそもそものきっかけは、私自身、高校時代に環境広告作りながらもゴミを出していた、っていうことなんです。紙を捨てて、ゴミを出して、そして環境の広告を作っている自分がよくわからなくなっちゃって。それで、大学在学中に、大竹伸朗さんに憧れて、旅の期間中に思いっきり真似してみたんです。

 

コラージュは、印刷物の余りや包装紙、古新聞など、落ちているものや捨てられてしまいそうなものを使います。作るものにお金をかけない。ゴミのかけらを持ってきて、昔に触れたであろう人を思い浮かべたり、その組み合わせで新しいことを想像してものをつくる、それがコラージュの魅力です。 

 

今回はワークショップも開催しました。それで、前日、永崎海岸で貝がらや花火やプラスチックのゴミなどを拾って来ました。コラージュっていっても、見にきてくださる人の中には、それがどういうものなのかわからない方もいるんじゃないかと思って。それに、自分の絵を描いてくださいと言われたら難しいかもしれないけれど、紙とか貝がらとか、そういう素材を使うコラージュならば、自分の思いも伝えられるし、相手の思いも聞けるかなって思ったんです。 

 

コラージュは、すでにある素材から作るので、ゼロから作るわけじゃなく、最初から何%かはそこにあります。すでにある素材を使うので気軽に取り組めるし、後からどうにでも貼り替えられるので、うまくいなかくてモヤモヤしたら、目の前のものを破いて剥がしてその跡を楽しんでみたり、また重ねたりと、コラージュには、「失敗」がないんです。正確に言うと「失敗した!」と思っても、それが案外思っても見なかった発見に繋がるというか。だから、失敗したらどうしようっていう不安を捨ててもらうために、こうして自由に壁に貼るというスタイルにしました。 

 

UDOK.には、もともとたくさんの新聞が貼られていて、そこには震災のことや原発事故のことが書かれていました。それを白いペンキで塗って、作品の下地となる壁を作りましたが、後ろに文字が透けて見えて、その上に作品ができあがっていったり、家族の写真を飾ったりすることの意味を感じました。上書きする絵を描くのは子どもたちですよね、それがすごく良いって感想をいただけて、本当にそうだなと感じました。 

 

子どもたちだけじゃなく、大人も、あまり難しいことを考えずに、自分の地元の好きなものを壁に描いていけたらいいなと。それが、いろいろなことを思い出すきっかけにもなる。思い出す作業って、とても刺激になると思うんです。嬉しいことも悲しいことも思い出して、そして自分が暮らす町のことが好きなんだって、みんなが気づける。それがきっと未来に繋がるんだと思います。

 

時間の流れが、厚みや幅を持って表現された作品。平坦な1日もあれば、濃厚な1日もある。違う毎日がそこには表現されている。
時間の流れが、厚みや幅を持って表現された作品。平坦な1日もあれば、濃厚な1日もある。違う毎日がそこには表現されている。

 

高校生のときからデザイナーを志し、多摩美術大学を経て、東京の有名デザインオフィスに就職した佐藤。クリエイティブの最前線に身を置き、数々のデザインを残してきている。大きな仕事もまかされ、デザイナーとしてのキャリアも順風満帆だったに違いない。しかし、震災後、佐藤は会社を辞めた。今は東京と福島を行き来しながら、フリーの立場でデザインを続けている。福島に携わろうという静かな覚悟が、そこにあった。

 

 

ー福島に携わっていくという静かな覚悟

 

タイミング、ですよね。前々から、フリーになりたかったというのはありました。正直、辞めるのだいぶ早かったかなと思うこともありますし、未熟だなと思います。だけど、どうにも頭から福島のことが離れなくなってしまった。だから後悔は全然ないです。高校時代から、軸はそのまま。やっぱり福島と東京をつなげることがしたいって、そういう思いはより強くなりました。 

 

福島って、やっぱり今までは「お盆とお正月に帰る場所」でしたし、家族がいたから帰っていた場所です。でも、震災後、県内をあちこち1人でまわったりして、知れば知るほど、ここで生まれ育ってよかったなと思いました。例えば、人がふつうに道を歩いていて、おはようと誰かが挨拶すると、笑顔でおはようって返してくれる、そういう小さなことがうれしかった。福島の人たちと関わっていこうっていう思いは、強くなりました。 

 

自覚していなかったけど、展示してみたからこそ、ああ、福島のことこんなに好きだったんだなって、しみじみと思いました。それに、所属を離れて、1人の人間としていろいろな方とつき合っていくなかで、本当におもしろい方ががたくさんいて、出会う人出会う人、皆さんから刺激をもらっていることに気づきました。たくさんの出会いが、私を後押ししてくれています。


これからも、東京と福島のあいだでデザインに携わっていきたいですね。父と母が、たまに東京に遊びに来て、私は月一で福島に帰る。この距離感のバランスがいいんだと思います。とはいえ正直、10年後の自分が東京にいるのはいまいち想像できませんが。地元の友人たちが「福島市でもやってよ!」と言ってくれたので、福島市でも展示をしたいです。家から近いと、母は恥ずかしいらしいので個展になるかも知れません。コラージュのワークショップを開いたり、子どもたちとまた何か一緒にできたらいいなって思っています。

 

佐藤は「コラージュには失敗がない」と言った。その底抜けに前向きな自由さは、すべての人を「表現者」にしてくれる。誰もが作り手になれるのだ。原発事故以来、「言葉」や「数値」で語られることの多かった福島に、佐藤のコラージュやデザインは「創造性」という風を送り続けている。子どもたちが、そして私たちが自由に未来を描ける、風通しのいい福島。佐藤はこれからも、静かに風を送り続ける。

 

profile

佐藤 洋美(kyassaba) グラフィックデザイナー/コラージュ作家

1985年福島県伊達市生まれ。kyassaba名義で数々のデザイン、コラージュの制作を行う。

福島西高等学校デザイン科学科卒業後、多摩美術大学造形表現学部デザイン学科入学。

2008年GRAPHに入社し、北川一成に師事。2011年よりフリーランス。

いわき市夜明け市場「Shirogane Table」ロゴマーク、「中之作プロジェクト」パンフレットなど県内でのデザインも複数担当。

http://kyassaba.tumblr.com


text by Riken KOMATSU / photo by Yosuke Tan,  Ayako Machinaga


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