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FEATURE

蔡さんと過ごした夕べ

posted on 2011.6.14


 

いわき市小名浜のオルタナティブスペースUDOK.で、6月12日、bonobosのボーカル蔡忠浩さんによるアコースティックライブが開かれた。震災から3ヶ月。人の姿もまばらな港町の商店街に突如現れたライブ空間。小名浜におきた「ちょっとした奇跡」のことを、ここに書き記しておきたいと思う。

 


東京は吉祥寺の銭湯でライブをしてしまうという大胆不敵な企画で音楽シーンに衝撃を残してきた「風呂ロック企画」が主催する今回のイベントは、人気バンドbonobosのボーカル蔡忠浩が、宮城、福島、茨城の3県4カ所を巡るミニライブツアー。小名浜のオルタナティブスペースUDOK.が、幸運にも福島の会場に選ばれ、アコースティックライブが行われた。

 

シャッター通りとなっている商店街の一角。空がゆっくりと薄紅色に色づく夕方5時半ごろ、たった20坪の、ライブハウスというにはあまりに小さく荒削りなスペースに、人が集まり始める。日本酒のケースの上に板を並べただけのシートに座り、主役の登場を今か今かと待つ。夕方の涼しげな風に乗って、わずかな興奮とゆるやかな時間が交錯していた。

 

会場は狭いがその分温度が上がった。
会場は狭いがその分温度が上がった。
蔡さんのハイトーンな声がなにかを融かしていくような気がした。
蔡さんのハイトーンな声がなにかを融かしていくような気がした。
小名浜に蔡さんが登場。わくわく。
小名浜に蔡さんが登場。わくわく。

 

夕方6時。主役の登場に割れんばかりの拍手。オープニングソングは、オリジナル『うたごえは ラララ煌めく太刀魚の ラララ煌めくまっ青な空』。さっきまで青のウインドブレーカーを着込み、入念にマスクをして音のチェックをしていたのに、すっかり歌手の顔になった蔡さんは、はじめて会った人たちに挨拶するように優しく歌い始めた。

 

蔡さんは歌う。世界は優しいばかりではないし、悲しくてもおなかがすくんだと。毎日毎日張りつめた気持ちで生活しているいわきの人たちの心を、ゆっくりと、少しずつもみほぐすように語りかける。観客は少しずつ前のめりになって、蔡さんと歌いはじめる。それはとても自然で、そうなるのが始めから決まっていたかのように、会場には一体感が生まれはじめていた。

 

『アストロノーツが屁をこく夜に』、『気比の松原  残暑のベロア』などのオリジナルソングでは、手拍子だけではなく、蔡さんがあらかじめ観客に渡しておいた打楽器の音も響いた。コアなファンが多く集まるライブ会場では、アーティストに遠慮して楽器をならす人はあまりいないのだが、そこは小名浜。アーティストも観客も、対等に、そしておおらかに音楽を楽しむ。

 

ライブが進むにつれ、会場の一体感はさらに強くなっていく。蔡さんの曲を知っている人も、はじめて蔡さんの音楽を聴いた人も、ともに歌い、楽器を鳴らす。みんなが笑顔だ。壇上の蔡さんも、思わず乗せられてしまったようで、歌い終わるたびに、充実した表情を見せてくれる。上気し、額に汗を浮かべた蔡さんの顔が、その幸せな時の流れを言い表していた。

 

オリジナルだけではなく名曲のカバーも披露。
オリジナルだけではなく名曲のカバーも披露。
会場のノリは最高。みな自由に蔡さんの音楽を楽しむ。
会場のノリは最高。みな自由に蔡さんの音楽を楽しむ。
会場となったUDOK.の丹。その目にはうっすらと涙が。
会場となったUDOK.の丹。その目にはうっすらと涙が。

 

ライブの時間は速い。日が暮れる。あたりは薄暗くなり、壇上の蔡さんはスポットライトに照らされて、精神を解放させていくように見える。パフォーマンスは研ぎすまされ、観客も完全に引き込まれていく。浜田真理子『のこされしものの歌』、矢野顕子『PRAYER』、欧陽菲菲『ラヴ・イズ・オーヴァー』。カバー曲で歌うのは、生きることの悲しみも、歓びも、全部。

 

この日、蔡さんはほとんど一度も、「がんばろう」とか、津波がどうとか、原発がどうとか、震災に関係することを口にしなかった。曲の間のMCも、「なんか、皆さんに乗せられちゃいました。次の曲、どうしようかなあ」なんて口にするくらい。少し恥ずかしそうに、でも曲が始まれば、一言一言を、僕たちの心にそっと置いてゆく。

 

生きることの歓びは、何も特別なものに宿っているわけじゃない。ほら、日々の生活のあちこちにあるじゃないか。そんなことを、日常の言葉で丁寧に紡ぎ、歌にしていく。ギターと自分の歌声だけを拠り所に、2時間。余計なことは何も言わず、ただ歌だけで勝負する蔡さん。そこには、歌い手としての誇り、矜持があった。

 

いつの間にか、目頭を押さえる人たちの数が増えていた。僕もボロボロと泣いていた。それは、大きな感動とか達成感とか、そういう類いのものではなく、むしろ、凝り固まっていた何かが少しずつ流れ出すような感じで、だから辛くはなかった。身体の芯にポッと熱が生まれるような、誰かの肩をすっと抱きたくなるような、温かさ。

 

涙のあと、皆で『中央線』を歌った。この日一番の、合唱。笑っちゃうくらいにみんなが大きく口を開けて歌った。蔡さんも笑い、歌った。直接言葉を交わしたわけではないけれど、僕たちは確かに言葉を交わし、心を交わした。表現が難しいのだけれど、そのことを、あの場にいた人はみんな共有していた。こんな幸せなことが、あのたった20坪のスペースで、起きたのだ。

 

心の隙間にじんわりとしみ込む蔡さんの歌声。
心の隙間にじんわりとしみ込む蔡さんの歌声。
蔡さんと過ごしたこの日の夕べのことを、誰1人として忘れないだろう。
蔡さんと過ごしたこの日の夕べのことを、誰1人として忘れないだろう。

 

後から聞いた話なのだけれど、蔡さんは今回のツアーにあたり、被災地の状況を事細かに調べていたのだという。この日も、ライブの前に、小名浜や永崎の海や江名、豊間を車で回った。その途中ほとんど言葉を発さなかったのは、巡回公演の疲れが溜まっていたからではなく、被災地の現状とできるだけ向き合い、それをどうライブで表現するかを、考えていたからだろう。

 

あの曲をああ歌ったのも、あの曲をあのタイミングで歌ったのも、あんなふうに笑ったのも、あんな風にあの言葉に力を入れたのも、蔡さんなりの考えがあってのことだったのだと今ならわかる。直接言葉では言わないけれど、蔡さんは確かに、僕たちに何かを伝えようとしていたのだ。歌とギターに、その思いを託して。蔡忠浩。なんという、アーティストだろう。

 

帰り際、皆で「また会いましょう!」と言いあった。震災でさまざまなものが崩れ去り、「不確定」な未来のことなんてよくよく考えてもみなかったけれど、何の打算も気兼ねもなく再会を誓い合えることこそが、未来へと僕らの目を向かわせる「希望」なのだと思う。蔡さんと過ごした夕べ。それは、「始まり」なのだ。あの日起きた奇跡の余韻に浸りながら、今そんなことを考えている。蔡さん、また、会う日まで。

 

photo by HIZAGAR

text byRiken KOMATSU


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