FEATURE
桜の森と私情のはざまで
桜の名所として知られる双葉郡富岡町夜ノ森の桜を写真に収め、移動写真展で各地を巡るというプロジェクト「桜の森 夜の森」。無人の街で美しく咲き誇る桜は、かつてその街で暮らしていた人たちだけでなく、初めて夜ノ森の名を知る人たちにも、もの言わず静かに、さまざまなことを問いかけている。宮本英実は、プロジェクトのきっかけとなった人物。震災直後から「地域活性」を謳い、常に前向きなメッセージを発し続けてきた宮本が、今、極めてシリアスな題材と向き合っている。
「桜の森 夜の森」は、警戒区域となっていた双葉郡富岡町夜ノ森の桜を写真に収め、トラックを改造した移動写真館で各地を巡るというプロジェクトだ。いわき市の団体「MUSUBU」が主催し、小名浜出身の写真家、白井亮が撮影を担当している。宮本はMUSUBUの代表としてイベントを運営し、双葉から避難してきた人たちの仮設住宅などを巡りながら、夜ノ森の桜の美しさを伝えてきた。
「数回だけどやってみて強く思ったのは、そこに住んでた人と、私みたいに外から見に行く人では、桜に対する思いがあまりに違い過ぎるなって。皆さんすごくよく喋るんですよ。泉(いわき市)の仮設住宅で写真展をやったときは、“桜をつまみにして話出す” みたいな感じでテントに椅子を出して、桜の話や富岡の話をよくしていたんです。「きれいだなあ」とか、「いつ帰れんのかな」とか、「桜に罪はねえのにな」とか。一瞬、何気なく話をしてるように聞こえるんだけど、簡単には聞き流せなかったです。皆さんが言う「きれいだ」と、私たちの「きれいだ」が、全然違って聞こえました」。
桜の写真を中心にして、さまざまな人たちのコミュニケーションが生まれた。もの言わぬ桜だからこそ、見た人たちの内面にさまざまな想いを去来させるのだろう。「たとえば今回の写真展で原発の写真を展示したとしたら、マイナスの感情ばかりが生まれてしまうと思うんです。でも、桜は誰に対しても平等で、誰も桜のことを悪くは言いませんでした。たった6枚の写真なのに、新しい出会いや新しいつながりを生み出して、ほんとにすごいですよね」。
宮本たち本人には、たとえば富岡町の現状を伝えようとか、福島の一体感を感じて欲しいとか、そうした強いメッセージはなかったという。「家族に少しでも喜んでもらえたら、というのはありましたけど、メッセージというのはなくて、それぞれに何か思うことがあればいいかなって。私たちができるのは『何かを思わせる仕掛け』を作ることだと思ってましたから」。しかし、それは安易に写真展を開いたということではない。今回、写真家の白井が撮影した写真は数百枚にのぼる。それに対して展示されたのはたったの6枚。極めて厳密な選別が行われていたのだった。
「もともとは、展示する6枚の写真は違うチョイスだった」と宮本。実は、当初宮本と白井の2人が選んでいた写真は別の写真だった。しかし、敢えて第三者のキュレーターを入れ、選別をし直したのだ。「キュレーターが選んだ写真の中には、夜ノ森駅の踏切に草が生えている写真がありました。すごく寂しげな写真なので、私も白井さんも選んでなかったんですけど、キュレーターは入れたほうがいいって。『桜が咲いているけど、ただきれいなだけじゃないってことがわかるじゃないか』って言うんです」。
キュレーターの選んだ写真は、果たして大きな反響を呼んだ。双葉や夜ノ森のことを知らない人からは「あの写真がよかった」という声が数多く寄せられた。一方で、地元の人からは「あれは入れないで欲しかった」という声もあったそうだ。そうした声は、プロジェクトの代表である宮本本人に寄せられる。「つながろう」とか「がんばろう」とか、そんなメッセージがあったほうがもっと盛り上がったかもしれない。しかし、そんなことは言わずに、宮本は静かにさまざまな声を受け止めて続けてきた。
「桜の森 夜の森」は、富岡町出身の母を持つ宮本のアイデアから始まった。母の実家を訪ねるたび、何度となく目にしてきた夜ノ森の桜。宮本にとっては、第二の故郷のような存在だったことだろう。「よく通っていた場所だったし、どうなっているかやっぱりに気になってました。家族からも、あの桜がまた見たいねって言われてたし」。思い立った宮本は今年4月、同郷の白井を誘って30キロ圏内の夜ノ森を目指した。
「Jビレッジの検問を100m超えただけで、線量計の数値がガンガン上がっていくんです。進めば進むほど上がる。そこで見えた風景は、ほんとうにわけがわからなくて、自分が小さい時から見てた風景はそのままなのに、人が1人もいない。なんなんだろう、なんでこんなことになっちゃったんだろうって、それだけが頭の中をぐるぐるしてました」。
夢中で写真を撮る白井をよそに、宮本はまったく集中できなかったと言う。その様子を「世界が滅亡してたった1人取り残されたみたいな感覚」と宮本は振り返った。桜は咲いているのに人がいない。鳥もいない。音のない世界。「ばあちゃんのお墓にも行ったんですけど、雑草も伸び放題、壊れた道路はそのままだし、牛にも遭遇するし、親戚のお墓も倒れたままだったり、ほんとに悲しかったです。悔しいとか、そういうのじゃない。ただただ悲しかったです」。
宮本が代表を務めるMUSUBUは、震災後にさまざまなイベントを開いてきた。音楽、芸術、ワークショップなど内容も豊富だ。何より、それらのイベントはどれも前向きなメッセージに溢れていた。被災地に人と人のつながりを生み出し、今の暮らしを楽しもう。そんな想いが込められていた。それだけに、今回のプロジェクトはどうしても異質に感じられてしまった。宮本は、なぜ一歩も二歩も踏み込んだのか。
「これまでのMUSUBUの活動では、自分の気持ちは自分の気持ちとして切り離してきたつもりです。でも、今回ばかりはほんとに悲しくて、そこから始まったような気がします」。夜ノ森で見た風景は、「MUSUBU代表」としてではなく、宮本英実という1人の人間の心を突き動かした。切り離そうとしても、切り離せなかったのかもしれない。
実は宮本は、撮影直後に体を壊してしばらく活動を休んでいた。高い放射線量への不安。喪失感。悲しみ。撮影中にのしかかる心的なストレスが原因だったという。それでも写真展開催のため奔走した理由を聞くと、「私情が入ってるかもしれないですね」と宮本は笑った。富岡町出身の母を持つという「私情」。かつて何度も夜ノ森の桜を見た人間の「私情」。福島の人間としての「私情」。
「春の桜の時期に夜ノ森の写真が出回ってましたよね。きれいな桜の中に防護服を着たカメラマンが写ってた。それがすごいイヤで。そういう絵が見たい人もたくさんいるとは思うけど、そういうんじゃないんだけどなあって。それで、自分でやろうかなって」。その言葉を聞いたとき、宮本の本音が聞けた気がした。桜を利用して何らかの作為的なメッセージを伝えようとする者への反感もまた「私情」から生まれている。
しかし、その「私情」を強く訴えようとはせずに、写真に何を感じるかは、見る人の心にすべてを委ねた。桜はモノは言わない。自らの美しさを誇ることもない。ただ、そこにある。だからこそ宮本はあるがままを撮り、桜がそこにあるようにシンプルに飾った。メッセージはない。どちら側にも立たない。強く、そのスタンスを貫いている。宮本本人が、“夜ノ森の桜のように” あろうと強く思っているのかもしれない。
話を終えたとき、宮本がひとまわり図太くなった感じがして、このイベントで成長した実感があるかと聞いた。宮本は「成長ですか? あるかな~」としばらく腕を組んで考えると、「まだ終わりじゃないし、志半ばだから成長なんてまだ実感できないですね」と言った。写真展は福島を飛び出し、この師走には宇都宮市で展示されることになっている。国外で展示されるのも夢物語ではないだろう。来年の年末、また同じ質問を聞いてみようと思う。「まだまだ志半ばですね」なんて、笑って答える宮本の顔が浮かんだ。
profile
宮本 英実 地域活性団体MUSUBU代表
1984年いわき市小名浜生まれ。
高校卒業後に上京、音楽プロダクションでマネジメント業務を経験後、レコード会社に勤務し宣伝業務を経験。
現在はフリーランスでPR・広報などを行う。MUSUBUの活動のため、東京と福島を往復する日々。
information
桜の森 夜の森 「ふく×ふくフェス」移動写真展
○常設展 2012年12月1日(土)~12月25日(火)
宇都宮パルコ5F 特設会場
○特別展 2012年12月16日(日) 10:00-17:00
宇都宮パルコ9F 特設会場
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