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INTERVIEW

宮本 英実  Hidemi MIYAMOTO

「5万人」の裏方

posted on 2013.3.3 / text by Riken KOMATSU


 

宮本には、去年の年末、

「桜の森 夜の森」という移動写真展についてインタビューをしていた。

その記事はもう掲載をしてあるのだけれど、

実はインタビューはそれで終わりではなかった。

MUSUBUとして大活躍中の宮本の根っこの部分が知りたくなって、

僕はいろいろと根掘り葉掘り聞いていたのだ。

だって、気になるじゃないですか、彼女のこと。

だから今日は、その「根掘り葉掘り」の模様をじっくりと紹介したいと思います。

 

 

MUSUBU代表としての宮本英実 

 

地域活性プロジェクトMUSUBU。

いわき市小名浜出身の宮本英実と末永早夏の女性2人によって運営され、

いわき市内外で、大小さまざまなイベント、プロジェクトを企画している。

 

気になるイベントにはよくMUSUBUの名前を見かけるし、

いわきの復興を支える若い世代の代表として、

さまざまなメディアで紹介もされている。

宮本さんみたいになりたいと学生が語るのを僕は何度も聞いてきたし、

MUSUBUの宮本さんといえば、いわきでは、まあちょっとした有名人でもある。

 

だけれど、僕の目の前に座っている宮本は、

自分のことをいつも控えめに語り、

イベントでも前に出ず、

後ろのほうに控えているようなイメージがあったのだった。

 

「いわきに戻ってくる前は音楽レーベルで仕事をしていたんですけど、

やっぱり主役はアーティストじゃないですか。

自分はアーティストを支える仕事をしていたので、

やっぱり前に出ていくって感じではないですね」。

 

宮本は前職を振り返りながら、自分をそう分析した。

宮本にとって重要なのは、あくまで「裏方」としての役割ということか。

 

 

中学生のときに味わった5万人の衝撃

 

音楽「業界」というと、華やかなイメージを持つ人も多いかもしれない。

宮本本人も、ライブの雰囲気に衝撃を受け、業界を目指した1人だ。

面白いのは、彼女が衝撃を受けたのは、光輝くアーティストのほうではなく、

何千何万という人を1つにして盛り上げる演出や空間づくり、

つまり、「運営」のほうだったということ。

 

「わたし、安室奈美恵さんが大好きなんですけど、

中学1年のとき、安室さんが大絶頂期の頃にライブがあったんです。

生まれて初めて見たのが、その東京ドーム。

目の前にそのスターがいるっていうのも衝撃だったけど、

5万人くらいの観衆が沸いている絵があまりに衝撃的だった。

ああ、自分はこういう仕事がしたいんだって思いました。

歌うほうじゃなくて、湧かせるっていうほう。

だから音楽の仕事しようって思ったんです」。

 

1人の中学生に与えた5万人の衝撃はいかほどだっただろう。

初めて見たライブが観客50人のライブだったら、

宮本は今ごろどんな仕事をしていただろう。

そんなことを考えながら、僕は宮本の青春時代について話を聞いていった。

 

宮本は、実は高校時代に「Soul Destination」という

ヒップホップのユニットを組んでいたそうだ。

(ちなみに当時カラオケの十八番はBuddha Brandの『人間発電所』だった)

そのSoul Destinationで、宮本はラッパーとして活動していた。

 

しかし、メンバーの1人の女の子のパフォーマンスがあまりに素晴らしく、

「自分はやっぱり表に立つ人間じゃない」と、

裏方としての自分を改めて強く意識するようになったのだという。

同級生に歌のうまい女の子がいることを知ると、

その女の子のデモテープを売りさばいたりもしていたらしい。

 

なんというか、当時から宮本は筋金入りの裏方だったのだ。

そんなことを感じさせるエピソードだった。

恥ずかしそうに、少しきまり悪そうに当時のことを語る彼女を見ていると、

なんとなく点と点が結ばれたようで納得がいった。

 

2007年7月、くるりが出演した「FORMOZ FESTIVAL 2007」にて。会場は、台湾・中山サッカースタジアム。
2007年7月、くるりが出演した「FORMOZ FESTIVAL 2007」にて。会場は、台湾・中山サッカースタジアム。

 

働いたほうが速いからと、学校を辞めて就職

 

ただ、その後の「裏方道」ともいうべき人生は、

彼女が「引っ込み思案」というタイプではなく、

むしろ「行動力の塊」であることを伝えている。

 

「音楽業界に行きたいって思ってたんで、東京の専門学校に行ったんですけど、

もともとなにかを学ぼうと思って入ったわけじゃなく、

田舎もんながらに音楽業界に入る方法を調べていたら、コネしかないと思って。

当時はレコード会社って人気だったんですけど、大卒じゃないと入れない。

私はそんなに頭よくないし、早く働きたいと思ってたんです。

それで、これはコネをつくるしかないな、

でもツテもないから、ひとまず学校に行ってみようと」。

 

専門学校に進んだ宮本は、学生の枠に収まらなかった。

すぐの自分の名刺を作り、

知り合った人に「なんかあったら手伝います」と言って回った。

雑用、ライブスタッフ、現場のアシスタント、なんでもやった。

そしてやっているうちに「これはもう働いたほうが速い」と

学校を辞めてしまったのだった。

 

宮本の行動力は、この頃もうすでに完成していたのかもしれない。

宮本の今と昔が繋がる印象的なエピソードだったので、

僕は膝を打ちたい気持ちになり、ついつい前のめりになってしまった。

 

ビクター時代の宮本。前髪が金色で、赤いTシャツを着ているのが宮本。現場主義を貫き、まさに実力で「裏方道」を上り詰めていった。
ビクター時代の宮本。前髪が金色で、赤いTシャツを着ているのが宮本。現場主義を貫き、まさに実力で「裏方道」を上り詰めていった。

 

いつも、こんなもんじゃないって想いがどっかにある

 

中学校時代からの夢を叶え、音楽レーベルに就職した宮本。

順調にキャリアを重ねていくその最中に、震災を経験することになる。

当時東京に暮らしていた宮本は、

居ても立ってもいられないような気持ちを抱えていたに違いない。

震災直後の3月末、小名浜の諏訪神社で開かれた炊き出しに参加。

次第に小名浜のボランティアチームと深く関わることになり、

そのチームがもとになって「MUSUBU」が生まれ、今に続いている。

 

「1年8ヶ月。あっという間でしたね。

大変というか、、、、うん、、、あっという間だなって。

去年とかは無我夢中過ぎてよく覚えてないんですよ。

どうやって暮らしてたのかなってくらいです」。

 

東京といわき、2つの拠点を持ち、

全国各地のいろいろな人たちといわきを結んだ宮本。

無我夢中過ぎて、と振り返るったのは、決して大袈裟な表現ではないだろう。

以前、「桜の森 夜の森」のプロジェクトのために奔走していた時、

精神的にも肉体的にも疲れ切って長期間休んでしまったと、

そんな話をしてくれたことを思い出した。

 

それでも宮本が精力的に動き続けるのは、

あの5万人の衝撃や興奮が、ずっと記憶の中にあり続けているからだろう。

 

「1年8ヶ月、こうしていろいろやってきましたけど、

私自身は自分の成長を感じないし、まだまだ思い描く自分に届いてないです。

自分のやることに自信があるわけでもないし、

いつも、こんなもんじゃないって想いがどっかにあって。

毎回、もっとできたのになあって思う。

それは、自分の怠慢でしかないんだけど」。

 

ずっと楽しそうに話をしていた宮本は、

声のトーンを少しだけ落として、そう語った。

その謙虚さ、というか貪欲さに、宮本の神髄を見た気がした。

 

宮本が参加した小名浜諏訪神社での炊き出し。ここに集まった人たちが母体となって、やがてMUSUBUが生まれる。下段中央右、黒いダウンジャケットを着ているのが宮本だ。
宮本が参加した小名浜諏訪神社での炊き出し。ここに集まった人たちが母体となって、やがてMUSUBUが生まれる。下段中央右、黒いダウンジャケットを着ているのが宮本だ。
オルタナティブスペースUDOK.で、宮本のインタビューと撮影が行われた。終始笑顔で話は進む。
オルタナティブスペースUDOK.で、宮本のインタビューと撮影が行われた。終始笑顔で話は進む。

profile

宮本 英実

1984年いわき市小名浜生まれ。高校

卒業後に上京、音楽プロダクションで

マネジメント業務を経験後、レコード

会社に勤務し宣伝業務を経験。現在は

フリーランスでPR・広報などを行う。

MUSUBUの活動のため、東京と福島

を往復する日々

http://www.musubu.me

 

 

みんながわーって沸き返る瞬間が好き

 

これまで宮本たちが結んできたヒトやモノが数えきれないほどあるなかで、

宮本本人は主役にならず、何かと何かをつなぐ「媒介」に徹してきた。

それは彼女に、裏方の血が流れているからだろう。

 

彼女本人に光が当たることもあるけれど、

主役はあくまで別の誰かであり、

その誰かとまた別の誰かを結び、一緒にハッピーな空間を作っていくことに、

宮本は歓びを見出しているようだった。

 

「音楽だけじゃなくって、みんながわーって沸き返る瞬間が好き。

だから、いわき踊りとか、小名浜の花火大会とかも好きですよ。

でも、見せ方とか、伝え方とか、盛り上げ方とか。

もっといいやり方があるんじゃないかって思うこともあります。

これからは、今いわきにある伝統行事とかも、

もっと磨いていけたらなって思っています」

 

宮本が演出するいわき踊りや花火大会。

決して、夢物語ではないような気がする。

会場の裏側で、舞台の袖で、指示を出す宮本の姿が浮かぶ。

そのイベントが大成功に終わっても、

宮本はきっと「いやいや、まだまだです」、なんて謙遜するのだろう。

 

あの日の5万人のライブの衝撃。

宮本は、今も胸の奥に持ち続けているに違いない。  

そうして熱を失わないまま遠くを見据え、5万人の裏方は走り続ける。

 


 

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