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INTERVIEW

末永 早夏  Sayaka SUENAGA

毎日のコーヒーと同じ温度で

posted on 2010.6.18


text & photo by Riken KOMATSU / posted on 2010.6.18

 

彼女は、世間で言うところの「女社長」だ。やってることは、フェアトレード。

フェアトレードとは、社会的、経済的に立場の弱い人びとに仕事の機会をつくりだし、

公正な対価を支払うことで彼らが自立できるよう支援する取り組みである。

 

末永が代表を務めるethicafeは、フェアトレードコーヒー豆の普及を目指す企業。

「国際貢献」、「社会起業」、「女性経営者」。

ともすれば、彼女に関係するキーワードとして、そんな言葉が浮かんでしまうかもしれない。

 

ただ、実際の彼女は、そんな言葉を連ねていってたどり着いた先の、

ちょうど反対側に立っているような女性だったりもする。

世界と手と手をつなぐ。

そのコツが知りたくて、週末、彼女にインタビューを申し込んだ。

 

 

太陽が瑞々しく輝く6月のいわき。午前11時半。街を歩く人が上着を脱いで汗を拭うころ、僕はいわき市平にある末永のオフィスを訪ねた。市が提供する若手起業家のためのレンタルオフィスである。

 

末永のオフィスも、お世辞にも広いとは言えず、備え付けの洒落っ気のない棚と、シンプルなデスクが置いてあるだけ。末永は椅子に座り、ちょうど僕のためのコーヒーを淹れてくれるところだった。実を言えば僕は、椅子に座る前から、この部屋を満たす贅沢な香りにすっかりご満悦になっていた。今だから言うと、そのコーヒーが飲みたくてしょうがなかったのだ。末永が慣れた手つきで淹れてくれたそのコーヒーは、香ばしさよりも、透き通るようなさわやかさが印象的だった。

 

「これおいしいねぇ」と僕が言うと、「そうですか? 自分で飲むやつだから、適当にブレンドした豆なんだけど」と末永。適当にブレンドしてこれなんだから、お客さんにお届けしてるやつは、さぞかしうまいんだろう。


 

―土曜日はいつもこんな感じ?

 

そう。土曜日の朝はコーヒー袋詰めしたり仕入れの処理したり、自宅の一角をコーヒーのためのスペースにしてあって、そこでやっちゃうんですよ。だからこの場所は、いつもはお昼頃になって事務処理をしに来るだけなんです。パソコンあれば自宅でもできないことはないけど、ここに入ると気持ちも少し変わるし。

 

―ずいぶんこざっぱりしたオフィスだよね?

 

ですよね。殺風景だし、面白みもないから、そんなに魅力あるような場所だと思わないんですけど、でもなぜかよく誰かしら来てくれるんです。「この辺に立ち寄ったから来たよ」とか言って。何かのイベントで名刺交換しかしてないような人が、名刺に書かれたホームページを見てくれて、わざわざ足を運んでくれたこともあったんですよ。うれしいですよね。

 

―ここにオフィスを構えてどのくらいになるんだったっけ?

 

立ち上げて8ヶ月くらい。マニュアルや基準があるわけじゃないから、どこまでやったら成功なのかなとかわからない。ほんとは、先のこと先のことを考えてやらなくちゃいけないんだけど、実際には目の前の細々としたことに気を取られちゃう。だから、ビジネスの視点で見ればまだまだ発展途上(笑)。でも、別の視点で考えれば、こんな五畳の殺風景なオフィスに、それだけの人が来てくれたり、新聞や雑誌が取り上げてくれたり、最近では採用の問い合わせとかがきたり、すごいなぁって思うんですよ。

 

―それは、どうしてだと思う?

 

あたしもそれ知りたいんですよ(笑)。まぁ、わかりやすいのは「フェアトレード」ってキーワードで引っかかった人かなぁ。あ、そういえば「ブログを読んで共感しました」って言ってくれる人もいた。自分も留学した経験があって、途上国の参上や海外で見聞きしたことを、あなたのブログを読んで思い出しましたって。そういう「共感」をしてもらえてほんとにあたしのほうがびっくりしてるんです。

 

———僕は、「この場所になぜか引きよせられてしまう」という人たちの理由が何となくわかる。なぜって? 今、インタビューしていて同じ気持ちだから。もちろんコーヒーがうまいってこともあるだろうけれど、たぶん、ここに来ると自由でいられるからだ。

 

それは、末永自身が飾らない精神の持ち主だからだろう。彼女と話をしていると、「インタビューしている」感覚がほとんどない。不思議なほど対等で居心地がいいのだった。それは、半年前に彼女と初めて会ったときからずっと変わらない。

 

 

末永がフェアトレードの道を志すきっかけとなったのは、今から20年も前のこと。テレビで偶然放送されていたアフリカの難民キャンプの映像だった。母がこう言った。「早夏と同じ年くらいの子たちが、その日食べるものさえないの。勉強もできない。そういう人たちがいるのよ」と。末永はその時のことを「ほんとに鮮烈でしたね。その時の思い出が、なにかあるたび思い出されるんです」と振り返った。

 

そしてその映像は、末永が決断に迷った時、決まって脳裏に浮かび上がる存在になる。「中学卒業して、普通に高校に通ってたんですけど、就職するのか進学するのか、進学したとして、あたしは何を学びたいんだろうって悩んでいた時、あの映像がフラッシュバックしたんです」。

 

「英語を学びながら、途上国の経済や国の仕組みを学んでみたい」。そう考えた末永は、イギリスのイーストアングリア大学に留学を決めた。その行動力たるや、並の女子高生ではない。「というか、やりたいことがあったらあんまり深く考えずにやっちゃうタイプなんです」と、末永はそのときの決断を振り返ってにっこりと笑顔を見せた。

 

 

留学してからも、末永のスタイルは変わらなかった。いや、拍車がかかったと言っていいかもしれない。国や人種、宗教の違いを超え、発展途上国の貧困問題を解決しようという世界中の仲間とともに学び、行動した。卒業前に訪れたペルーでは、現地のNGOの運営がひどいことを知るや否や、「すぐそのNGOでの活動を辞めて、そこで知り合った女性と二人で、近くの別の村で読み書きを教え始めた」のだった。

 

しかし、そのペルーの貧困の村で、末永はボランティアの壁を知ることとなる。「子どもたちが、自分の名前が書けるようになったってすごく喜んでくれて、自分の名前を書いた紙を家の壁に貼ってくれて、すごくやりがいも感じてたんです。だけど、あたしが帰った後、貧しい暮らしは変わるのか、抜け出せるのか、学校には通えたのか、そう考えるうちに、自分の無力さを感じたんです」。

 

 

ペルーで、痛いほどに感じたボランティアの限界。末永は、急速に「企業」という存在に関心を向けていった。「発展途上国の貧しさって、やっぱり経済的な貧しさ。お金を生み出す企業や会社というのは、その存在だけで貧困から多くの人を救う存在なんじゃないかって思うようになった」という。

 

末永は、ここでもあまり深く悩むことなく、地元いわきに本社のある大企業へと就職した。仕事は順調だった。「与えられた仕事はすごく新鮮で内容も充実してたし、楽しい部署でしたよ。海外との取引もあるし、仕事のスケールも大きいし、それで、会社ってすごいなって、人を養うってすごいなって痛感したんです」。

 

ところが、またあの映像がフラッシュバックしたのだった。ペルーの子どもたちの顔も浮かんだ。「生活が充実してきて、満足はしていたんですけど、今まであたしが見てきたいろいろなものをどうしても思い出しちゃう。誰も私を責めているわけじゃないのに、自分を責めてしまうんですかね」。

 

 

ボランティアに目覚めた大学時代。ペルーの奥地でボランティアの現実を知り、企業へと向けた関心はやがて、自分のほんとうの夢と重なり合った。ボランティア精神、企業体、養う、自立、自分の夢。そうしたキーワードが次々に繋がり合い「フェアトレード」という道をはっきりと示したのだ。

 

末永は決めた。「ボランティアって、精神はほんとにすばらしいんだけど、与えるだけじゃないですか。フェアトレードって、仕事にふさわしい対価を与えて自立を促すものだから、サイクルとして持続していくんです。それに、大企業みたいに、別にあたしがここにいなくても他の誰かがやっていけるだろうって仕事じゃなく、あたしにしかできないことがしてみたかったんです。それが、フェアトレードでした」。

 

 

「それで、会社やっちゃえって、勢いだけで立ち上げちゃったんです(笑)」。彼女はいつもこうやって、誰もが尊敬のまなざしを向けるような決断を、さらっとやってのけてしまう。彼女のしていることは、全国の小学校の道徳の教科書に掲載してもらいたいくらいにすばらしいことだ。ただ、面白いのは、本人に、あまりその自覚がないのだった。

 

「あたしはいつも “がんばらなくていい国際貢献” って言ってるんです。今自分にできることしかできないし、それをやればいいって。『ボランティアをやらなくちゃ』とか、『貢献しなければ』なんて強い決意のようなものはなくて、ほんとすいません(笑)、別にすごいことをやってるわけじゃないし、やりたいことをやってるだけなんです」。

 

僕はこの間、ほとんど聞き役に回り、ひたすらメモをとっていた。でも、今この空間がこんなにゆったりしているのはなぜだろう。僕はこれまでに何人も経営者や起業家をインタビューしてきたけれど、ここまで自然で、押し付けがましくなく自分の思いを話すことができる人を、僕は知らない。

 

 

―いわきで起業したのは、いわき出身ってこともあったから?

 

フェアトレードやってる会社って東京が多いんですけど、東京だけが国際貢献する場所じゃないですよね。正直、いわきにこだわってるわけじゃないけど、自分が住んでる場所で自分のやりたいことやってみるかぁ〜ってノリ(笑)。勢いだけで始めたから、経営ってこんなに大変なの?って今思ってます。ダメですよねこういうの・・・。

 

—いいなぁそのノリ。本人がガチガチじゃないから、参加してくれる人も気を許して前向きになってくれるんだろうね。

 

そうなんですかね。確かに、あたしはボランティアやってますよって、そういうのが好きじゃなくて、だから名刺にも「代表取締役」なんて書かないようにしてるんです。重苦しく考えなくていいかなって。最後の目的のところだけ共有できれば、あとはどの道を進んでもいいんですよ。あ〜でもやっぱりあたしって適当なのかも・・・。

 

—旅行もけっこう行き当たりでしょ?

 

そうなんですよ〜。別に最短距離じゃなくていいから、いろんなこと吸収しながら気ままにのんびり旅したいじゃないですか。山にのぼって旗を立てるのが目的じゃない。常に頂上は見据えてるけど、いろいろ道草したり、景色眺めたり、それでいいんじゃないですか?

 

 

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1時間半のインタビューが終わると、末永は僕のためにもう1杯、コーヒーを淹れてくれた。たぶん、ここにいるのが僕じゃなくても、どの国の、どの宗教の人が来たとしても、同じようにコーヒーを淹れ、のんびりとマグカップを傾けながら、誰かとの会話を楽しむのだろう。

 

そういえば、末永早夏は、ほんの1ヶ月前まで「平子早夏」だった。左手の薬指では、結婚指輪が爽やかな光を放っていた。指輪をする前とした後で何か変わった?と聞くと、「すいません、変わってないですね・・・」と笑う。たぶん、難民キャンプの映像を見たあのときから、末永は何も変わっていないのだ。それは、すごくすごく希有なことだと僕は思う。

 

やりたいことを、自分のやりたいようにやる。僕たちは、そのことをとても難しく考えてしまう。だけれど、末永を見ているとなんだか僕にも可能なんじゃないかと思えてくる。力を入れずに、しなやかに、できることをできる範囲で積み重ねていく。そう、毎日飲むコーヒーと同じ温度で。夢もボランティアも、それでいい。

 

それこそ、末永の変わらないスタイル。

 

 「あ、旅行の話、思い出した! インド旅行の話なんですけどね、あたし、ガンジス川に行かなかったんですよ。行くはずだったんですけど、途中で食中毒になって3日間病院に入院しちゃって。退院したら南のほうに行きたくなって、60時間ぶっ続けで列車に揺られて行きました。ガンジス川ならまた次に行けばいいかなって。だって、ガンジス川はなくならないじゃないですか」——

 

彼女らしい答えに、僕は大笑いしてしまった。そして、和やかな気持ちそのままに、透き通る味のするコーヒーを口に運んだ。「ほんとに不思議とうまいなぁ」。僕は、そのコーヒーの余韻を楽しむように、ほっと、息をひとつ吐いた。

 

text and photo by Riken KOMATSU

profile 

末永 早夏 Sayaka Suenaga

1981年いわき市小名浜生まれ。福島高専3年修了後、単身渡英。イースト・アングリア大で発展途上国の開発について学ぶ。帰国後、いわき市内の企業に就職するが、途上国への想いをさらに強めることになり、2009年10月に独立。(株)ethicafeを設立した。ビジネスを通して世界の貧困問題と奮闘中。

株式会社ethicafe

 

 

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