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INTERVIEW

杉山 修一  Shuichi SUGIYAMA

回り道の、その先に

posted on 2011.7.1


 

かわいげなカタチと優しい味で、その人気を不動のものとしている「ゼリーのイエ」。小名浜に住む人なら一度は食べたことがあるであろう、地元に愛されるゼリーのお店だ。今回のインタビューの主人公は、その店の二代目、杉山修一さん。ゼリー職人まっしぐらではなかった杉山さんの歩みを紐解いてみたら、ゼリーのあの味や雰囲気がどこから来るのかが、少しだけ見えてきた。

 

朝4時半。杉山さんは、いつものように腰にエプロンを撒き、消毒液をつけて慌ただしく手を擦る。工房へと入ると、“師匠” でもある母の洋子さんの姿が、いつも変わらずそこにある。僕たちがまだ寝静まっているころ、杉山さんは母の動きを視界の端に捉えながら、かわいらしいゼリーの型を手際よく作業台に並べ、液状のゼリーを次々に流し込んでいく。多い日には500個以上のゼリーを作るという人気店の朝には、いつも静かな緊張の時間が流れている。

 

「うちの母は、かなりこだわる性格なので、やっぱり僕に対する要求も厳しくて・・・」と杉山さん。ゼリーづくりで一番難しいとされる「ちょうどよい堅さ」を出すために、母の教えを請い、理想のゼリーを追い求める毎日だ。「材料も分量も同じなのに、母と比べてまだ堅さが出てしまうことが多いんです」。“二代目” としての悩みは尽きないが、「感覚なのでやって覚えるしかない」と開き直りつつ、ぷるぷるのゼリーと日々格闘中だ。

 

ゼリーのイエがオープンしたのは、もう25年も前のこと。「もともとは母が知人のために玄関売りしていたんですけど、僕が中学生のとき、親父が突然『家で店をやる』って言い出して。いつの間にか庭だったところにお店が建ったんです(笑)。何も聴かされてないんですよ、息子なのに。ジョークでやってんのかな、これで食べていくはずないよなって思ってました」。

 

ところが、そんな杉山さんの予想ははずれ、少しずつ近所に広まったゼリーは、やがて県内外にファンを増やしていくことになる。「昔からずっと同じことやってるんですけどね」と杉山さんは首をかしげて笑った。「電話に出られないときは、わざわざ手紙で注文が来ることもあった」というから、その人気のほどが伺える。ゼリーのイエの人気は、そりゃもう、昔からすごいものだったのだ。

 

あの昭和の時代から、材料となるゼラチンはさらにいいものに変わったけれど、ゼリーのイエのゼリーは「ゼリーのイエのゼリー」としか形容できない佇まいがある。だからか、杉山さんがこの店を引き継ごうと決めた当初は、母のテイストを追い求めたこともあった。でも、「親は昭和の人間だし、今の新しいものを昔のセンスでやれる。それは僕らには無理」と、今はあえて、自分のテイストを出していくように心がけているそうだ。

 

 

その最たるものが、ウェブ。インターネット販売の仕掛けを作ったのは杉山さんだ。今は震災の影響で停止中なのだけれど、かわいらしいそのホームページには、杉山さんの「センス」があふれでている。意外に思う人もいるかもしれないが、杉山さんはかつてコンピューターの専門学校に通い、一時期、ネット関連の企業で働いていたこともあるのだ。手慣れた手つきでiPhoneをいじる姿は、デジタルガジェットのマニア、と言っていいかもしれない。

 

最初は、やっぱりお菓子職人を目指していたそうだ。「単純にやりたいことがわからなかった。実家で商売をやってたから、そっちに志向が働いたってこともあるのかなぁ」。高校を卒業後、なんとなく成り行きに身を任せて、東京にある調理師の専門学校へ進学した。女の子だらけの学校で、毎日お菓子を作っては食べ、作っては食べの生活。甘党の男性から恨まれてしまいそうな、お菓子職人への第一歩だった。

 

ところが、話はそんなに「甘く」はなかった。慣れない東京でのひとり暮らしに加え、イヤでも向き合わされるお菓子。心が少しずつ疲れていき、次第にお菓子を拒絶するようになってしまう。「メンタル的に繊細なところがあって、体に出ちゃうタイプなんです。疲れが出たり、急に貧血みたいになっちゃったりとか。僕には、まだ早すぎたんです」。1ヶ月の休校ののち、杉山さんはその学校を辞めてしまう。

 

それから1年近く、ニートのように家に閉じこもった。当時のことを「普通じゃない状態」という杉山さん。辛い時期のことを語る杉山さんの表情にも、いくらか影がさしていた。ただごとでは、なかったのだろう。ただ、ニート中に大きな出会いがあった。青緑のiMacとの衝撃的な出会いだ。「ちょうどあの頃ですよね、初めてiMacが出たの。ウィンドウズしか知らない時代だったんで、一目惚れでした」。

 

それからというもの、杉山さんは夜な夜なコンピュータに触り、インターネットに接続し、さまざまな情報に触れた。天性のセンスが目覚めるのにはたいして時間はかからず、知り合いを通じてイベントのフライヤーなどのデザインを手がけるようになった。「甘い臭いもないし、面白いかもしれない」。そう確信した杉山さんは、東京のデザインの専門学校に通い始めることになる。杉山さんの世界は、ますます広がっていったのだ。

 

デザイン、写真、編集、グラフィック、、、。クリエイティブな感性を磨き、自らものづくりに携わり、イベントなどを通じて外の人たちとのつながりをつくり、さまざまな経験を蓄えてきた。杉山さんのブログを見るとわかるのだけれど、センスのいいものを集めるアンテナの感度が抜群にいいのだ。そして、それを組み合わせる能力も。杉山さんならではクリエイティブな「編集力」は、店づくりにもよく現れている。

 

 

でも、そんな広い視野の中で見えたのは、ウェブクリエイターとしての道ではなく、「小名浜のゼリー屋さんの二代目」としての道だった。「ものごころ着く前から普通にゼリーがあったから、みんなどうしてうちのことをよく言ってくれるのか、わからなかったんです。でも、外の世界を知って、いろいろな人の意見や言葉に触れるたび、ああそうかって気づけることがたくさんあったんです」。

 

妻、裕美子さんとの結婚も、家業を継ぐための大きなきっかけになったという。「一時期、違う仕事もしてたし、自分からお店を出ていった身なので、継ぎたいって気持ちをちゃんと正式に言わないといけないって思ってたんですけど、ちょうど結婚するかしないかって時期だったんで、一緒に言っちゃえ、みたいな(笑)。それで、結婚と後を継ぐことを一緒に話したんです」。杉山さんの性格をよく表すエピソードだと思った。

 

 「ゼリー一筋ではじまって、もう25年。僕が続ければ50年とかになってしまう。でも、自分がやらないとそこで終わっちゃう。“やんなくちゃいけない”、“終わらせちゃいけない” って、思うようになりましたね。子どもが生まれたことも、大きかったです。おいしいって言う顔がうそっぽくないんです。あの顔を見てたら、この店つぶせないなって」。震災後は、その思いがさらに強くなったと語った杉山さん。その表情は、いつになく精悍だった。

 

 

インタビューというのは、ある人の歴史や思い出の中にずかずかと土足で入っていって、それを踏み荒らしてしまうような無粋なところがある。でも、杉山さんはいやがる顔ひとつせず、訥々と、時折笑顔を見せながら、自分の過去を話してくれた。東京での苦しかった思い出や、iMacがいかに美しいかや、奥さんがどんな人か。言葉の節々に繊細な優しさを閉じ込めながら、杉山さんは歴史を自ら紐解いてくれる。

 

杉山さんは、けっこうな回り道をしてきた。お菓子職人を目指していたのに、なぜかウェブクリエイターになった。奥さんとの結婚がなければ、もしかしたら、まだ決心がついてなかったかもしれない。震災がなければ、ここまで強く「跡を継ぐ」ことを意識しなかったかもしれない。自分ひとりで果敢に決断するというより、流れに身を任せて、それが自分の決断を後押しするのを待つような、そんな人だと思う。

 

 

でも、そんな「型のなさ」こそが、杉山さんの深さなんだろう。繊細でいるようで、流れにどんと身をゆだねられる図太さもある。ひとつだけに決めずに、いろいろなものからエッセンスを引き出し、それを自分で再構築できる。デジタル野郎だったころのあの感性は、今も杉山さんの軸となっている。周り道は必然で、どれもこれもすべて、杉山さんには必要なものだったのだ。

 

「実は、自分で作りたいゼリーのイメージあるんです。今はまだ作らせてもらってないけど。それを作らせてもらいたい。自己満足になっちゃいけないと思いますけど、かわいいと思うなあ。それが商品になって人に買われていくっていうのは、何とも言えない感覚だと思うんです」。今はまだ秘密だといって教えてくれなかったけど、杉山さんオリジナルのゼリーが店頭に並ぶ日を、僕は心から楽しみにしている。

 

「昔からあまり貪欲なほうじゃなかったけど、今は、もうちょっと行きたいって思う。満足したら自分の中で終わっちゃうって、思うんです」。杉山さんの中で、何かが確実に動き始めている。でもきっと、杉山さんが向かう先にあるのは、母のような職人気質のパティシエではないように思える。それはきっと、さらなる回り道の先にあるのだろう。「二代目」の肩書きも、杉山さんにとっては、回り道の途中にあるものなのだ。

 

text & photo by Riken KOMATSU

profile

杉山 修一 Shuichi SUGIYAMA

1977年いわき市小名浜生まれ。小名浜第一小学校、小名浜第二中学校を経て、茨城キリスト教学園高等学校へ。卒業後は、バンタンキャリアカレッジでデザインを学び、その後、地元の広告代入り店に就職。結婚を機に会社を辞め、実家である「ゼリーのイエ」を継ぐべく修行中。


 

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コメント: 1
  • #1

    スズキウチュウ (火曜日, 12 7月 2011 10:15)

    こんにちわ!!リケンさん!!
    今回の杉山さんのインタビューを見て、図々しくもコメントを書きました。
    S部氏に、「見た方がいい!!絶対に!!」と命令されたので、ブログを拝啓させて頂きました。
    今回の杉山さんの気持ちに、ものすごく共感しました。
    読んで良かったです…(やや涙)。
    私も、杉山さんと料理の種類は、異なりますが同じ気持ちでいっぱいです。
    私の場合は、大学卒業後、就職氷河期に入り、職が決まらず、家をやや強引に継ぐことにしました(正式には、まだですが…)。
    旅館の三代目として、恥じないよう料理の専門学校へ通い、そこで、辛く、厳しい思いをしました。退学は、しませんでしたが一時期は、パンもごはんもましては、みそ汁も喉に通らないほどに料理が嫌いになり、体重も激減しました。
    私に、この仕事が合ってるのか否か?
    未だに、自問自答しております…、やりたい仕事と宿命の仕事…。
    でも、杉山さんのインタビューを拝見して、私と事情が似ている方がいて、うれしく思いました。
    肩の荷がおりたとはいきませんが、ほんのちょっと、モヤモヤが薄くなった気がします。
    本当に、良いブログでした。また、拝見させて頂きますので
    「tetote」を続けて書いて下さい!!応援してます!!