いわき市出身であり、日本を代表するパーカッショニストのASA-CHANGが、いわきの伝統芸能「じゃんがら」を通して被災地を弔おうという「プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!」。目下、猛稽古中のASA-CHANGが、8月2日、Ustream(以下UST)放送に登場し、その知られざる想いを語った。そしてなんと、ASA-CHANGの厚意により、tetote onahamaも “いわき代表” として同席させてもらうことができた。プロジェクトの意味や、今ASA-CHANGが何を伝えようとしているのか、ぜひ聞いて頂きたい。
text by Riken KOMATSU, photo by Hiroyuki TAMURA
ミュージシャンの遠藤ミチロウ、大友良英、詩人の和合亮一といった錚々たるアーティストたちが名を連ね、被災地復興を目指す「プロジェクトFUKUSHIMA」。そのコンセプトに賛同したASA-CHANGが、「いわき人 として何ができるだろう」という想いを胸にスタートさせたのが、この「プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!」だ。
東京スカパラダイスオーケストラのバンドマスターとして名を馳せ、ASA-CHANG&巡礼などでも音楽性が高く評価されるなど、日本を代表するパーカッショニストとして知られるASA-CHANG。そのASA-CHANGが、いわきの伝統芸能「じゃんがら」を通して犠牲者を弔い、慰霊しようというのがプロジェクトの概要だ。今回のUSTでは、ASA-CHANG節を織り交ぜつつ、稽古の様子や自分の考えを語ってくれた。
※UST放送のアーカイブはこちら → http://pj-fukushima-iwaki.tumblr.com/movie
素材提供 : プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!
じゃんがらとは、江戸時代に起源を持つ、いわき市伝統の念仏踊り。用水路の工事を指揮するなど功績があったにもかかわらず、無実の罪で切腹させられた磐城平藩の郡奉行、澤村勝為の霊を慰めるために奉納された念仏踊りが起源とされている。現在も、市内に50を超える団体があり、毎年の8月、新盆を迎える家庭に赴き、故人を弔うための念仏踊りを奉納する。
ASA-CHANGも、幼いときからそのリズムに親しんだ1人だ。USTでも、「ジュースやごちそうをもらいたくて、じゃんがら行列の後ろをどこまでも歩いていった」と昔を思い出していた。多くのいわき市民がそうであるように、じゃんがらのリズムは、ASA-CHANGの心と体にも刻まれている。犠牲者を弔うために、打楽器奏者である自分に何ができるだろうと考えたとき、「じゃんがら」という答えが出てきたのも、自然なことだったのだろう。
しかし、希代のパーカッショニストも、数百年の伝統の前では1年生にすぎない。太鼓に触らせてもらえないばかりか、毎日一番最初に練習場にやってきては先輩たちが来るのを待ち、誰よりも遅くまで練習をしているという。「やる以上は、そのルールに従ってやるべき」というASA-CHANGの想いは強く、しきたりにしたがって、黙々とじゃんがらに向き合っている。
さらに、じゃんがらは、お盆の3日間で数十箇所を回るが、家々で振る舞われるお酒やご馳走をすべて食べなければならないという暗黙のルールも存在する。各団体の主要メンバーが20代から30代前半なのはそのためだ。48歳のASA-CHANGが参加するというのは、体力的にも「無謀」なのだが、それでもASA-CHANGは「そういうもんだから」と意に介さない。
「被災地を元気づけるために、自分の音楽を披露しようという人たちもいるけど、そういう気持ちにはなれない」とASA-CHANGは言う。自分が生まれ育ったいわき、浜通りが被災したからこそ、ミュージシャンとしてではなく、ひとりの人間として向き合いたい。練習だけではなく、被災した住宅の修繕の手伝いまで精力的に行っているASA-CHANGの覚悟は、悲壮なまでに純粋だ。
当初は、「なぜそこまでして・・・」という声が周囲からもあがったが、ASA-CHANGの「本気」が、周囲を少しずつ動かしはじめているのは確かだ。ASA-CHANGが「じゃんがら」という言葉を発したことで、多くの「いわき人」たちもまた、じゃんがらとは何かを考え始めている。それぞれの地域性、幼い頃の思い出、そしてじゃんがらによって送られた数多くの魂。そんなことを考えるきっかけを、ASA-CHANGは与えてくれている。
震災後、何度も「11日」をすごし、そのたびに犠牲になった人たちを想い続けてきた被災地。しかし、市民の多くに、いまだすっきりしない感情が “しこり” のように残っているのは、ずるずるとした気持ちを断ち切るための「踏ん切りの儀式」がなかったからかもしれない。ASA-CHANGの挑戦は、まさにそこに挑むものだといえる。
じゃんがらとは、故人を弔うものであり、自分が暮らすコミュニティを改めて考える儀式だ。今、いわきに、浜通りに、福島県にもっとも足りていないものこそ、その「弔いの儀式」と「地域性の再確認」ではないだろうか。ASA-CHNAGは、口に出して言うことはないが、1人のいわき人として、その先導者を買って出たのかもしれない。
1時間の予定を大幅に超える2時間の放送を終え、UST中継は終了した。終了間際の、「じゃんがらがもっとうまくなりたい」というASA-CHANGの言葉が、今も胸に突き刺さったままだ。お盆まであと1週間。彼は、じゃんがらによって何を伝えようとしているのか。その一挙手一投足からますます目が離せない。ASA-CHANGの鳴らす鉦、そして太鼓が、今から待ち遠しくて仕方がないのは、僕だけではないはずだ。
information
なお、このプロジェクトはすべて有志によるボランティアで進められており、プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!! では、活動をサポートするための支援金を募集している。詳しくは、プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!! のウェブサイトをご覧頂きたい。
※じゃんがらは故人を弔い、慰霊する伝統芸能です。ASA-CHANGの練習風景などを見学することはご遠慮ください。練習風景などについては、プロジェクトチームが動画をアップしていますので、そちらをご覧下さい。
tetoteonahama (土曜日, 20 8月 2011 13:30)
ASA-CHANGがどうしてこのプロジェクトを始めたのか、
ということろに、
「ふるさと」とか「まちづくり」とか、
いろいろなことをのヒントが詰め込まれているような気がします。
僕のじゃんがらは・・・・、機会があれば挑戦、してみます!!
沼田真樹子 (水曜日, 10 8月 2011 22:16)
高校以来行けてないじゃんがら。
懐かしくなりました。
被災地を元気づけるために、自分の音楽を披露しようという人たちもいるけど、そういう気持ちにはなれない。
素敵です。
小松さんのじゃんがらも見てみたいです。
maccoace.51@globe.ocn.ne.jp