越境ジェネレーション

tetote essay vol.11 / text & illustration Riken KOMATSU

 

三国志の曹操を主人公にした漫画『蒼天航路』の中に、万里の長城を前にした曹操が軍師・郭嘉に向かってこんなことを言うシーンがある。

 

「これは南に棲む漢民族を守るためのものだが、北に棲む者には越えて攻めてやろうという気を起こさせるものでもある。そしてこれは確かに始皇帝の力の巨大さを示すものではあるが、同時に自分の支配が及ぶ空間はここが限界なのだと認めた証だ。大地に境界を引くこの長城、なんと壮大なる愚かしさよ」。

 

境界を作るのは、「異」民族を設定することで、自らの正当性を担保したいがゆえだ。「自」と「他」を分けて自我を確立する人間の、どうしようもない習性だとも言える。しかし、曹操はそんな人間の「業」を看破するようにこう言い放つ。「俺なら、ここに立てばどこまでも大地を駆けて征きたくなる。こんなものはいっそぶち壊してやろうか」。

 

人間はどこにいても、常に心の中に「長城」を築く。長城の内にあるものを「自己」として愛で、外の世界にあるものを「異物」だとして遠ざけてしまう。線を引くことで、あちら側とこちら側を分ける。自分が何者であるかを定義するためには、線はどうしても必要なのだ。「アイツらとは違う」。人間はそうやって自分をかたちづくってしまう。

 

しかし、線を引けば、やがてまたその線を “越境したくなる” のも人間のどうしようもない性質なのだ。僕を例にとれば、いわきと東京の間の線を引くことで東京に憧れ続け、田舎を軽蔑してきた。そして、越境し、東京の人間になった。すると今度は「日本」と「外国」の間に線を引いて、「国際人」気取りで日本を飛び出した。そうしていつまでも線を引き、線を超え、また線を引き、自分をつくっていくのかもしれない。

 

 

そんな風に次から次へと線を引き、その線を超え、それを繰り返しているうちに、僕は、もといた場所に帰ってきてしまった。上海から海の向こうを見たら、一番輝いていたのがこの小名浜だったのだ。かつて、飛び出したくて仕方のなかった田舎の港町が。世界地図を見たら名前すら乗らない町なのに、なぜかそのほうが世界に広がるような気がしたのだ。

 

人間は、線を引く。そして越境し、線を振り返る。それがまさしく「成長」なのかもしれない。しかし、越境を続けるだけでは、結局線のこちら側とあちら側を「比較」し続けるだけ。いつになっても、自分の軸を持つことができない。「大切なものはどこか遠くにあると思って船を漕ぎ出した。けれど、大切なものは帰る場所にあった」と友人は言った。帰って来なければわからない景色が確かにあるのだ。

 

今、自分が歩んできた越境の歴史を振り返ると、無人の広野が広がっているだけだ。かつては、自分の前に大きな長城があり、それを超えなければならないと力んでばかりいたのに、そんな壁なんか、今はどこにも見当たらない。壁を、必要としなくなったのかもしれない。

 

「東京と田舎」や、「日本と中国」などという両者の間に引かれた「境界線」なんて重要ではない。戻ってきた今なら、そう思える。それぞれによさも悪さもあり、それを自分なりにうまく楽しんでしまえば問題なんて何もないのだから。小名浜もいわきも福島も東京も日本も中国も、みんないい。そんなことを、この片田舎の港町は、 “戻ってきた僕に” だけこっそりと教えてくれた。

 

越境のために越境するのではなく、いずれ戻ってくるために越境する。そこに価値があるのだと今は思う。戻って来なければ、越境こそが自分の成長なのだと思い込み、今も線を引き続けていたことだろう。戻ってきたら何のことはない。自分と世界だけしか存在しない荒野があるだけだ。今は、壁を気にすることなく、ゆっくりと、その道を歩んでいる実感がある。そしてその感覚は、実はすごく贅沢なのかもしれないと思い始めている。

 

2010.11.20 up

文章:小松 理虔(tetote onahama)

 

 

<<NEXT   /   PREVIOUS>>

 

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    しうたらう (木曜日, 19 5月 2011 03:14)

    私の方といえば鉄砲玉、でたっきり31年。福島からの放射能はもう何回地球をまわったのでしょうね。
    ご無沙汰しておりましす、りけん老師、まずはご無事でよかった。朝日の読ませて頂きました。ぐっと胸に涙がきました。日本語以外でもよんで欲しいという思いが走りました。
    まだまだ大変でしょうが頑張ってください。