おなはまとわたし

tetote essay vol.10 / text & photo by tantan

 

私にとって小名浜は、

それは、祖先を産み落としたやわらかな子宮であったか。

それは、祖先が眠る硬く冷たい墓であったか。

これまで私を導いてくれた、光であったか。

どこに行こうと私の心に棲み付く魔物だったのかもしれない。
すべては必然だと思う。そしていま、私は小名浜にいる。

 

 

1983年1月5日12時20分、3200g。小名浜の産婦人科で生まれた。頭から生まれた。幼少期には口から生まれたとか言われてたらしいけれど。貧乏でもなく超お金持ちでもない公務員一家に歓迎された元気な長男だった(おそらく)。

 

小さなころから工作が好きだった。大学は工学部建築学科に進学。夢は建築家。「いわきを良くしたい。」いまどき小学生も言わないような、抽象的なキレイごとを胸にいわきを出た。10年前。大学進学が決まったころ、初めて親に言われた。小学生低学年のころ、あまりに勉強ができずに本当に心配だったこと。そして、本当は同じ教員になって欲しかった気持ちがあることを。

5歳、両親の転勤で南会津の南郷村に引っ越す。南郷村は、県内一の豪雪地。四方を山に囲まれ、コンビニのようなスーパーが一軒あるだけの田舎。海が遠いんだってことが良く分からなかった。すぐそこの山の向こう側には海があるんだと思ってた。


覚えているのは、朝起きると両目まぶたを蚊に刺されていた夏や、雪の中で親友と大喧嘩した冬や、自転車で農道を滑走した放課後や、泣きながらスキーを覚えさせられ不合理な斜面や、泣きながら25mをほぼ犬掻きクロールで泳ぎきったプールや、初恋や、初キス(なぜかクラスの男子と)や、、思い出しても、かなり刺激的な3年間だった。山や川、虫、何より人との濃密なコミュニケートが日常だった。そうせざるを得ない環境だった気がする。

 

8歳、小名浜に戻った。転校。クラスメイトの小名浜弁がスゴイなぁと思った。が、南郷訛りの自分のほうがスゴかった。11歳、写生会で諏訪神社を描いた。期日までに描き終らなかった。放課後、採点をする先生が教室を回ってくるときもまだ描いていた。いま提出しないと採点しないぞといわれても、いいですと答えた。そこでデキタってしたら、この気持ちいい時間が終わってしまう気がした。

 

あとで、その神社は大工の棟梁だった曾祖父の仕事だと知った。物心ついたときから、仏間に飾られた曽祖父の写真はあまりに若くてカッコよくて日本人離れした顔だった。12歳、将来の夢は大工さんになった。

 

 

大学は仙台。ひとり暮らし。周りに「どこ出身?」と聞かれると、必ず「福島県のいわき市の小名浜というところです。」と答えた。小名浜が私の出身地。大学1年で初めて持ったケータイのアドレスには”onahama”が入っていた。なんとなく、”小名浜っ子”だということが自分のアイデンティティだと感じていた。

 

そして自分には何ができるのかを考えた。ただ何かをつくりたかった。放課後に大学図書館に通って小名浜のことを調べたりした。(いま思えばかなり根暗な学生だ)まだ専門に分かれる前の1年のときにいきがって設計コンペに出したりした(たしか横町公園を敷地にしてた)。


大学卒業後、もっと大きく環境のなかで建築を捉えたかった。ランドスケープデザインという分野を知った。大学院を探し、新潟県長岡市へ。そこで出会った学生の作品に衝撃を受け、直感で進学を決めた。「これだ!ここでやりたいことができる!」太平洋側から日本海側へ、磐越道で日本横断300km。反対する父親と口論になった。


デザイン大学で、モノをつくる線を引くための土台がないことを痛感させられた。自分にはデザインの軸がなかった。ひたすら線を引いた。自分の線を見つけるために。

 

 

「からみ・ほぐし」造形、線にはそう名前がついた。私の線が生まれた。それは、海と陸とが揺れ動きながら接する海岸線の複雑なラインのように広がっていった。研究の途中、実家に帰ってくると海を見に行った。三崎公園の潮見台へ足を運んだ。アクアマリンの人工環境のディテールを見に行った。そこに、自分が描くべき線が在る気がしたから。

27歳、小名浜に帰ってきた。いくつかの場所に住み、多くの素敵な人に出会えた。そしていつも、人生の根底には小名浜という環境が大きなうねりをもって流れている。それは、逆らうことのできない悪魔みたいなもの。雲に乗って世界の果てを目指した生意気なサルは、悪魔の手の上でグルグルと回っていた。


大切なものはどこか遠くにあると思って船を漕ぎ出した。けれど、大切なものは帰る場所にあった。小名浜にあった。私がこれまで描いてきた線は、全て小名浜のなかにある。そして、これから描く線を小名浜で見つけていく。


ここから全ての場所へとつながる。いつか大きな岩をも穿つ水の一滴を大洋に投じる。
朝焼けを映す小名浜の海に、力強くも穏やかに誓おう。

 

2010.10.3 up

profile tantan

1983年小名浜生まれ。小名浜二中、磐城高校を経て、東北大学工学部建築学科卒業。長岡造形大学大学院造形研究科建築デザイン修了。大学院で海と陸の境界領域に興味を持ち、海底藻場ランドスケープデザインを通して独自の「からみ・ほぐし」造形論を展開。卒業後、河川や湖沼海の水質浄化と藻場再生の仕事に従事。2010年下半期から故郷小名浜へ。建築設計・デザインを生業とし現在に至る。

 

 

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