福島から、上海へ

Re:write vol.13 / text by Riken Komatsu

※この文章は、中国上海で日本人向けに発行されているフリーマガジン「SUPERCiTY CHiNA 震災特別号(5月末発行)」に寄稿したものを、再編集したものです。文章に書かれているものと、今現在の状況が異なる記述がございます。時差によるものです。あらかじめご了解下さい。

 

 

あれからすべてが変わった

 

大爆発を起こし、世界中から注目される福島第一原子力発電所から南に50数キロ。福島県いわき市から、この原稿を書いています。今日のいわき市の放射線量は、市役所のあるいわき市平で0.22マイクロシーベルト毎時。上海で暮らしている皆さんはピンとこないかもしれませんが、ここ福島にいる私たちは、毎日この数字とにらめっこしながらの生活を余儀なくされています。

 

原子力発電所が爆発したあの日から、私たちの生活はすべてが変わりました。外出するときにマスクをつけ、雨を気にし、換気扇もろくにつけられず、布団もなかなか干せません。学校の校庭や家のそばの公園からは、子どもたちの声が消えました。福島の野菜、福島のお肉、福島の魚が、スーパーから無くなりました。私たちがこれまで考えていた「便利」や「快適」は、どこかへと消えてしまいました。

 

テレビで繰り返しアナウンスされる「ただちに健康を害するものではありません」という台詞。もう聞き飽きました。いったい誰が、この台詞を信じられるというのでしょう。原発事故直後から、政府や東電からは、一向に正確な情報が出されず、私たちは右往左往するばかり。本来ならただちに避難すべき町や村に、今もまだ数千数万もの人たちが残り続けています。10年後、20年後、どんな病気が発生するか、誰にもわかりません。

 

 

避難するという選択、残るという選択

 

私も、震災直後の3月17日に、知人の住む新潟県へと避難しました。避難する前夜、私は両親と何度も話しあいました。両親は、この地に残ると言い張りました。「お前は若い。これから子どもを育てていく体だ。だから気にすることはない。先に逃げなさい」。父は私に、そう言いました。当日、新潟に避難する私に、母がおにぎりを作ってくれました。お米も、水も満足にない時のことです。涙が止まりませんでした。

 

見えない放射能。残り少ないガソリン。家族との別れ。ギリギリの精神状態の中でふと浮かぶ、ふるさと、そして家族という言葉。一方で、情報が錯綜する中で理性を失い、家族や友情の絆までもが切り裂かれてしまった人たちも多くいます。福島に暮らす人たちはみな、そうした経験をしたはずです。まさに「究極の決断」でした。それでもなお、「家族」や「ふるさと」という言葉の持つ意味は、重く、ありがたいものでした。

 

5日後、私は何事も無く、避難先の新潟から帰ってくることができました。しかし、まだ家に帰ることができない人たちが大勢います。原発に近い町や村では、人が住めないような汚染が厳然と存在するところもあります。何の落ち度もない人が、そうして、家を、土地を、仕事を奪い取られました。田舎の人にとって「土地」がどれほど大事か、地方出身の方はわかるでしょう。何も悪いことをしていないのに、すべてを奪い取られた人たちが、この福島には大勢いるのです。

 

 

何重もの苦しみとともに

 

原発だけではありません。原発問題のニュースの陰に隠れていますが、福島県沿岸も、巨大津波によって破壊されました。私の故郷も、津波の被害に遭いました。何度も足を運んだ魚市場は泥で埋まり、足しげく通った港の食堂は、骨組みを残すのみとなっていました。平和の象徴のような海が、突如として牙を剥き、私たちの日常を、私たちの暮らしを、私たちの宝物を、奪い去っていきました。怒り。諦め。不安。どんな形容詞を使っても、今の気持ちを代弁することができません。

 

大地震、巨大津波、原発事故による土壌・海洋汚染、風評被害、それにともなう地域経済の停滞。私たちは今、四重、五重の苦しみを味わっています。そして、その苦しみがいつ晴れるのか、誰もわかりません。それでもどうにかこうにか、私たちは、日々の生活の中に楽しみを見出しながら、仲間たちや家族とともに、前を向こうとしています。

 

次第に「以前の暮らし」を取り戻したかに見える毎日。しかし、またいつものように「放射線量」をチェックする自分と出会うのです。各地で、復興が始まっているように思えます。しかし、原発問題が収束しなければ、私たち福島の復興はありえません。原発事故を引き起こし、その被害を拡大させた政府と東電への怒りは、消えることがありませんが、それでも私たちは、いつの日か訪れるであろう安寧の日を待ちわびながら、静かに戦っていく覚悟です。

 

 

 

SUPER CiTY CHiNA震災特集号の誌面。今回このようなお話を頂きまして、上海の皆さんありがとうございました。国外に住んでいる日本人の皆さんに、こうして福島の現状を知って頂けて、うれしいです。今後も、どうか、原発問題への関心を失うことなく、被災地への、福島への、ご支援賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 

2011.7.3 up

文章:小松理虔(tetote onahama編集部)

 

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