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大工町バトルロワイヤル続編

posted on 2012.6.1(fri)



異色の「バトル形式」による即興表現が繰り広げられた「大工町バトルロワイヤル」から3ヶ月あまり。はやくもバトルロワイヤル第2弾が平のIWAKI SONICで開催され、小名浜からも、UDOK.所属の2人のライブペインターがバトルに参戦した。珍客の乱入で前回の以上のカオスとなった今回のバトルロワイヤル。そこで見えてきた即興表現の難しさを振り返る。

 

—続編、はじまる


プロではなく
素人がASA-CHANGとバトルすることで、「表現とは何か?」を学ぼうというのが、このバトルロワイヤルの趣旨。前回は、手探り状態ながらも、協和・不協和バランスよく飛び出し、参加者も「気持ちいい」だけに留まらない表現の本質を垣間みた様子だった。 「即興表現というのは、その人が持つ実力以上のものが無意識に飛び出すこともあります。もちろん、その逆もあるのですが、自分自身との対話、そして僕との対話や調和を通して、表現の奥深さを感じてもらいたいと思っているんです」。ASA-CHANGは、イベントのコンセプトについてそう語る。

 

2回目となる今回も、ギタリストやベーシスト、ドラマー、シンガーなど音の表現者だけでなく、ジャグラーやお笑い芸人までもがバトルに参戦。UDOK.所属のuntangle、phil baileyの2人もライブペインターとして参加し、それぞれの音や表現に刺激を受けながら3×6板に作品を描いた。バトル中は、ASA-CHANGが全体をハンドリング、若手もベテランもそれぞれが己の表現力をぶつけあった。

 

セッションには、いわきを代表するDJ Igacorosasも参戦。電子音を細やかにつなぎながら、スペーシーな音づくりで参加者たちを幻惑した。無駄のない動き、そして幅の広い表現は若い表現者たちに大きな刺激になったことだろう。イベント中突如として始まったASA-CHANGのタブラボンゴとのセッションでは、和やかでありながら緊張感の感じられるセッションを披露。こうした「一流」の即興表現を間近で見られるのは、このイベントの醍醐味だ。

 

巡礼トロニクスで会場を幻惑しつつ牽引するASA-CHANG
巡礼トロニクスで会場を幻惑しつつ牽引するASA-CHANG
卓越したセンスを見せつけたDJ Igacorosasだったが、プレイ時間が短めだったのが惜しまれる。
卓越したセンスを見せつけたDJ Igacorosasだったが、プレイ時間が短めだったのが惜しまれる。
ヨーデル唱法で会場を魅惑した女性シンガー。地元の表現者たちも全力でぶつかっていく。
ヨーデル唱法で会場を魅惑した女性シンガー。地元の表現者たちも全力でぶつかっていく。
会場の雰囲気。中央で繰り広げられる音の競演。壁のそばでは、2人のペインターが終始キャンパスに向かった。
会場の雰囲気。中央で繰り広げられる音の競演。壁のそばでは、2人のペインターが終始キャンパスに向かった。

 

—カオスと化したバトルロワイヤル


突如表れるトラブルに会場がジャックされてしまうのも、このイベントの面白さだろうか。IgacorosasからDJブースのバトンを受けついだご当地ピン芸人・下山田のDJがすべてをカオスにしてしまったのは衝撃的だった。緊張感の漂っていた会場に響き渡ったのは、大味なヒット曲の数々。下山田自ら貞子ばりに紙を振り乱し、床を這いつくばり、スリラーの振り付けを真似る始末。ギタリストたちも、それに合わせ、半ばやけくそにセッションするほかなかったようだ。

 

「素人」による即興だからこそのハプニングともいえる。その場の雰囲気を全部もっていってしまうような選曲は、下山田の確信犯的表現ではあるだろう。しかし、イベントの趣旨を全員が理解しておくといった共通認識は必要だっただろうし、混沌の表現を最終的にカタチとしてまとめるのは素人には難しいことを考慮し、最低限のルールづくりをしていてもよかったのではないか。せっかくの盛り上がりも、最終的にグダグダになってしまっては勿体ない。

 

しかし、当事者ASA-CHANGの見方はまったく異なる。「私からの指示や指摘は、避けたいのがホンネです。あの場のカオスな有様こそ、良かれ悪しかれリアルだからです。大工町バトルロワイヤルはジャム・セッションでも勉強会でもありません。真剣勝負のイベントであり、エンターテイメントです。何をするのか決め込んできては独りよがりの表現になってしまいます。バトルにも会話にもなりませんよね」

 

ASA-CHANGの言葉を簡潔に言い換えれば、あの混沌こそ、いわきの表現者のリアルな現状ということになろう。誰かの音に耳を傾けて混沌を収拾しようとするのか。あるいは、誰かの表現と競ってボリュームを大きくするのか。あの混沌がどう変化するのか、あるいはしないのか。そこにこそいわきの表現者たちのリアルが問われる。まさにその現実を、ASA-CHANGは私たちに呈示したかったのではないだろうか。

 

「参加した皆さんの多くは、自己の表現手段に没頭し、バトル? または、融合? したい相手すら見失い、己とばかり格闘し、カラんでしまっているように見えました。そういう人のほうが圧倒的なんだぁ〜と現実を知れたことが、私にとっては大きな収穫でした」。ASA-CHANGはそう振り返る。いわきの表現者に足りないことは? と質問をぶつけると、「他者の表現を受けるテクニック。聴く耳。バトル相手にたいする手の差し伸べ方」との返答。まさに、今回のイベントの本質を言い当てているのではないだろうか。

 

会場をジャックした下山田。即興セッションの祭典は彼女の独壇場と化したが、「彼女も平等な参加者だ」とASA-CHANG。
会場をジャックした下山田。即興セッションの祭典は彼女の独壇場と化したが、「彼女も平等な参加者だ」とASA-CHANG。
ペインターuntangleによる作画。独自のからみほぐし造形を展開した。
ペインターuntangleによる作画。独自のからみほぐし造形を展開した。

 

—グダグダしたならそれもまたリアル

 

少なくともASA-CHANGは、今回の参加者を誰1人として「素人」だとは思っていない。「即興表現」を前に、プロも素人も関係がないからだ。最大限のリスペクトがあるからこそ、参加者の表現に耳を傾け、余計な口を極力はさまずに、カオスのままにしておいた。結果、その空間にはいわきのリアルが表出する。大工町バトルロワイヤルとは、ルール無法だからこそ、自分たちの「限界」をも丸裸にされてしまうのだ。

 

自らの表現を突き通すのか。誰かの表現に合わせて自分を抑えたほうがいいのか。果たしてそれは表現と言えるのか。そもそも表現とはなんなのか。参加者の多くは、このイベントでたくさんの「モヤモヤ」を抱えることだろう。それは日々の表現の中ではなかなか解決ができない。この場だからこそ噴出したカオスだから、この場でしか対面できない。つまり、バトルロワイヤルに参加することでしか、このモヤモヤは解決ができないのだ。

 

ASA-CHANGは何度も「自分の表現は、自分に責任がある」ということを口にした。良かれ悪かれ、すべては自分の体内から発せられたものであるから、それはまさに自分自身なのである。大工町バトルロワイヤルで対面するのは、そう、素っ裸の自分自身なのだ。ASA-CHANGは、実にとんでもないイベントを企画してくれたものである。次回は、どんな場になるのか。ますますリアルな表現が求められているいわき。だからこそ、真っ正面から「震災復興の現実」と「表現の現実」に向き合いたい。

 

information

ASA-CHANG 公式ウェブサイト

http://www.asa-chang.com/

 

text & photo by Riken KOMATSU


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