HOME  >  SUPERLOCAL  >  DAIKUMACHI Battle Royale

SUPERLOCAL feature

震災後の表現を問う、即興のバトルロワイヤル

text by Riken KOMATSU / photo by hoshi

 

2月7日、いわき市平のclubSONICiwakiで、パーカッショニストASA-CHANGと一般参加者が即興表現でバトルを行う「大工町バトルロワイヤル」というイベントが開かれた。地元いわきで「素人と」即興バトルをする意味とは。震災後の「表現」について思索を深めるべく、主催者のパーカッショニストASA-CHANGに話を聞いた。

 

ー素人がASA-CHANGとセッション

 

ASA-CHANGのドラムに若い男性参加者のカホンが絡む。女性の歌声にASA-CHANGが「巡礼トロニクス」で音を重ねていく。さらにその音に合わせ、イラストレーターがライブペイントを行う。ASA-CHANGと参加者が、音と音、表現と表現をぶつけあう真剣勝負。それが大工町バトルロワイヤルだ。

 

プロとプロのセッションならあらゆる場所で開催されているが、このイベントはASA-CHANGと素人の真剣勝負。しかも、一斉演奏ではなく、1人ひとり時間を取ってセッションするスタイルだ。すべてが順調に進むわけもなく、一見不釣り合いなセッションも展開されていく。しかし、そこにこそ、ASA-CHANGの狙いがある。

 

 「即興表現と言うのは、気持ちがいいだけのものではないと思うんです。震災を期に、いわきで何か表現をしてみたいという若い世代が増える中で、表現が生む満足感やつながりも大事ですが、イベントごとや表現することの厳しさや緊張感もやはり感じてもらいたいんです」。

 

「即興ですから、その人が持つ実力以上のものが無意識に飛び出したり、その逆もあります。その人らしさがすべて出て、かっこ悪さや不協和音すら出てくるかもしれない。そういう自分自身との対話、そして僕との対話や調和を通して、表現の奥深さを感じてもらいたいと思っているんです」。

 

 

一般参加者がASA-CHANGとセッション。声でも踊りでもなんでもあり。
一般参加者がASA-CHANGとセッション。声でも踊りでもなんでもあり。

 

そもそもこの即興セッション、ASA-CHANGのドラム・パーカッション教室で行われていたワークショップに起源を持っている。いわゆる「私塾」的な環境からこの試みがスタートしたのだ。その後、「武蔵野バトルロワイヤル」というタイトルでイベント化され、これまで3回ほど開催されている。

 

「以前から、この無謀とも言えるイベントを全国展開したいと考えていたのですが、やはり全国の先駆けとして、いわきがふさわしいのではないかと思っていました」と、ASA-CHANGは語る。なぜいわきでの開催にこだわったのか。その理由を紐解いてみた。↙


 

—なぜいわきでの開催なのか

 

その質問をASA-CHANGにぶつけてみると、そこには、いわきがASA-CHANGの地元であるということ以上に、今置かれているいわきの特殊な事情があるようだ。つまり、「被災地での表現」にまつわる問題。

 

「震災後、たくさんのアーティストやクリエイターたちがいわきに来て、さまざまな表現活動を行っています。いわきのアーティストたちも当然のように肩を並べられるようになりますよね」。

 

ただ、作品性やクオリティが評価されたということより、むしろ『被災地』への優遇措置のような場合もあります。いわきでの表現は、私たちの想像以上に世界に注目されています。我々のスキルが、今こそ問われているのではないでしょうか」。

 

確かに、震災後、錚々たる表現者たちがいわきにやってきて、地元のアーティストやクリエイターとのコラボレーションを行っているが、ASA-CHANGの言うように、「クオリティ」が厳しく問われることは少ないという面はあろう。つながろう、参加しよう、ひとつになろうといった言葉で総括されることも、確かに多かった。↗

 

ASA-CHANGの愛機「巡礼トロニクス」。
ASA-CHANGの愛機「巡礼トロニクス」。
弊誌編集長の小松理虔(左)も参戦した。
弊誌編集長の小松理虔(左)も参戦した。

 

「例えば、こうしたライブセッションは、皆で音を出し合って、さあ! みんなで一緒に楽しく演奏しましょう、なんて展開になることが多いですよね。でも、私たちは震災を通して、世の中きれいごとだけでは済まされないことを知りました。私自身も、じゃんがらのような『苦しい思いをしながら弔う』という伝統芸能を体験しました。気持ちいいとか、快楽とか、そういう上澄みの表現では深まらないものがある。そこを忘れて欲しくないという思いはあります」。

 

ASA-CHANGの鋭い指摘は、いわきで活動する多くの表現者にぐさりと突き刺さるものがあるのではないだろうか。ともすれば、反論の声もあがるかもしれない。

 

しかし、ASA-CHANGは決して地産クリエイティブのクオリティが低いと言っているわけではない。地域のクリエイティブシーンに、違った価値観、ジャンルを超えた思考をもたらすことで、表現行為が持つ根源的な厳しさや苦しさを表現者自身に感じてもらいたいのだろう。それは、価値観の異なる各国の演奏者とセッションを続けてきたASA-CHANGだからこその視座ともいえる。↙



筆者自身、マイクパフォーマンスと言う形でバトルに参加させてもらった。ASA-CHANGは、直接的な言葉でああしろこうしろとは言わないが、ドラムやパーカッションの音で常に問いかけてくる。ASA-CHANGの視線は常に私の一挙手一投足を捉え、表現をシビアに観察しながら、音を合わせたり、いきなりずらしたりもする。常に試験されているような緊張を強いられるのだ。

 

「今回は、想像以上にユニークな参加者が多くて、意外な手応えを感じることができました。でも、かみつきはまだまだ甘い(苦笑)。表現者だけではなくていいんです。たとえば、表現者をいわきに呼んだりするようなコーディネーターやメディアの人たちだって『表現とは何か』を体感しておくことは大事です」とASA-CHANG。音楽業界の最前線にいる男が、今、郷土のカルチャーの根っこにかじりついている。ASA-CHANGの声に耳を傾け、地方、震災、表現。今だからこそ、もう一度根っこに立ち返って考えてみる必要がありそうだ。