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SUPERLOCAL interview

西丸 亮

まちづくりを拓く、地産クリエイティブ

text by Riken KOMATSU / photo by TEAM iups

profile / 西丸 亮  Ryo SAIMARU

1988年いわき市小名浜生まれ。神奈川大学法学部4年。2010年に福島県出身者たちとTEAM iupsを設立。政治への関心も強く、20代の投票率向上を目指す学生団体ivoteなどの活動をはじめ、神奈川県選挙管理委員会にもインターンするなど、幅広い活動を行っている。来年度から中央大学大学院へと進学予定。

 

福島県出身の在京大学生が中心となってよりよい地域づくりを目指す「TEAM iups(以下iups)」という団体をご存知だろうか。2010年設立後、福島県出身者をキーワードにした "ゆるい” 飲み会から、話題の論客を招いたトークイベントまで間口の広いイベントを開催し、今、少しずつその活動を広げている。一見「クリエイティブ」とは結びつかない社会派な団体にも見えるが、代表の西丸亮へ話を聞いてみると、地産クリエイティブとまちづくりの友好的な関係が見えてきた。

 

—見えない壁を問い続けること

 

「見えない壁」。スカイプでのインタビュー中、西丸が何度も口にした言葉だ。首都圏に暮らしてみたことのある人間なら、なんとなくその意味がわかるだろう。東京と福島。都会と田舎。外と内。その壁は、実にいろいろなところに出現する。地方を出て上京して感じる都会の冷たさ。ふるさとのありがたみ。ふるさとへの言いようのない蔑視もあるかもしれない。iupsの創設も、上京した若い世代が感じる当たり前の「壁」から始まったようだ。

 

大学へ進学して感じた壁ももちろんあるんですが、生まれ育った小名浜に帰ったときの「差」というか、進学せずに小名浜に残った同級生たちとの壁のほうが、最初のきっかけとしては大きかったです。首都圏の大学に通う学生の間では、これからのキャリアのこと、夢、興味や関心など、前向きなキーワードがどんどん膨らんでいきます。

 

一方で小名浜の同級生たちは、地元のならではの深い絆のようなものも実感できるけれど、話題になるのは実際の仕事、自動車や娯楽の話。もちろん、状況が違えば話題も異なるわけですが、一緒に笑いあった同級生たちと話が通じづらくなっていることに、正直壁を感じました。


僕が生まれた小名浜は、独特のヤンキー文化というか、何かこうドロドロとしたものがくすぶっている町でした。僕の友人には「元ヤン」も多いです。でも、東京へ戻ると、壁を感じていたはずの同級生たちの人間味のある付き合いが恋しくなってしまう。小名浜の海や太陽、寂れていく商店街などが懐かしくなってしまうんです。

 

 

 

 

そして、東京の友人たちが田舎に対して持っている「田舎って不便そうだね」とか、「遊ぶところなさそうだね」という印象を聞くたびに、今度はこちらのほうに壁を感じてしまう。

 

田舎でも東京でも、どこにいても壁がある。そのことを同郷の学生たちに話してみると、みんなも同じような壁を感じている。それで、「東京から福島を語る」ことで見つかる何かがあるんじゃないか、それが地元の活性化にもつながるんじゃないかと。そして、そんな思いを共有していくことがきっかけになって、同じいわき出身の親友たちと「TEAM iups」という団体を立ち上げたんです。

 

立教大学で開かれたiupsのイベントにて。
立教大学で開かれたiupsのイベントにて。

 

ー壁を問い続ける


自分たちが
感じる「壁」。その姿をより明確に炙り出し、「外」だからこそ感じられる魅力や改善点を発見して発信しよう。iupsは、発足当初からそのコンセプトを貫いている。

 

昨年12月には、原子力ムラを中心に中央と地方の社会構造を分析した『「フクシマ」論』の著者で、いわき市出身の社会学者・開沼博を招いたトークイベントも行った。これまでの活動より一歩アカデミックに踏み込むことで、西丸たちがおぼろげに感じている「壁」の姿、iupsが向かうべき方向性がよりはっきりしたと西丸は言う。

 

イベントを通してもっとも強烈だったのは、開沼さんがはっきりと「東京から福島の活性化を目指すと言えども、結局は “他人事” として捉えてしまっているのではないか」と指摘されたことでした。

 

確かに、小名浜の人からしたら「お前らが求めてることを俺たちは求めてない。意味なんてない」と思うかもしれません。それに、「地元を活性化したいなら地元に帰らなければ説得力がない」というようなことを何度も言われたことがあったんです。そんななかでの、開沼さんの「他人事」発言だったので、正直打ちのめされました。

 

「フクシマ」論、著者の開沼博。若い世代の視点で福島を切り取る。
「フクシマ」論、著者の開沼博。若い世代の視点で福島を切り取る。

 

 

 

一方で、一度外に出てきた僕らにしか見えないものがやっぱりある。僕らだからこそ感じるられる「壁」の存在を何かに活かすことはできるはずだと、開沼さんの話を聞いて思っていました。

 

そこで出てきた1つの答えが、「壁を問い続ける」ということです。他人事だと言われても、外だからできるアプローチがある。外側から内側の問題を問い続けることは、東京にいる僕たちだからできることです。だから、それに徹すればいいと。 


つまり、地域の問題を解決できるような具体的で直接的な動きはできなくても、まちづくりやUターンに興味を持ってもらえるような学生を生み出すことはできるということです。

 

大学生って、人生ではじめて「ふるさと」や「地元」を持つ年代ですよね。その時期は、「壁の存在」を問う絶好のタイミングだと思うんです。壁を感じることで「地元のために何かできないかな」と思った僕たちのように、壁を問い続けることが、地方に関心を持つための最初のきっかけになる。

 

壁を乗り越えたり、壁を壊したりする方法を考えるのではなく、「壁」を問い続けること。超えるか、くぐるか、壊すかは、その人が決めればいい。でも、壁の存在に気づかなければ、その方法すら考えようとしない。壁を問い続けること、きっかけを与えることが、外側にいる大学生としての僕たちにできることです。

 

西丸が「きっかけづくり」を目指すのは、開沼の発言があったからだけではない。自身の苦い経験も含まれているようだ。西丸の専攻は行政学で、住民が参加するまちづくりや条例、地方自治などを専門的に学んできた。

 

いわきに戻り、まちづくりNPOなどさまざまな団体を取材したことも何度もあるそうだ。しかし、そこにあったのは、限られた人しか参加していなまちづくりの現状だった。

 

 



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コメント: 1
  • #1

    瀬田恒夫 (月曜日, 28 5月 2012 08:52)

    壁を見ることができるのは確かに都会と自分の田舎これは古里という言葉かもしれません。 私は比較構造論というゼミを行っていたことがあります。 簡単に行ってしまえば 両方 田舎と都会を俯瞰することより 生活体験を比較すること 比べるための尺度を持つことが大事です。