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SUPERLOCAL 008 / talksession
トークセッション:猪熊純×成瀬友梨×小松理虔
りくカフェとUDOK. から考えるローカルの可能性①
text by Riken KOMATSU, photo by アキタカオリ(トークセッション撮影), りくカフェ(素材提供) / posted on 2012.12.25
震災で改めて問題提起された「地方のあり方」を模索し、地方の新しい価値観を探るトークイベント「RE:LOCAL」が、11月23日、慶応大学三田祭で開かれた。ゲストとして、成瀬猪熊建築設計事務所の成瀬友梨と猪熊純、そして小名浜から、私UDOK.主宰の小松理虔の3人が参加し、岩手と福島で運営されるコミュニティスペースについて議論を交わした。
今回の「RE:LOCAL」はTEAM iups(アイアップス)の企画で開催された。TEAM iupsは、2010年福島出身の在京大学生で設立された任意団体で、「地元外」の視点で楽しく地元のことを考える機会や場を創造している団体。今回の企画はまさに「内」と「外」の両方の視点からローカルを捉え直すといったものだ。そこで今回のSUPERLOCALでは、「りくカフェ」と「UDOK.」という2つの場所では今何が起きているのか2回にわたって紹介していく。まずは、UDOK.とりくカフェについての基調講演を振り返りながら、被災地で起きているコミュニティの現状について考えていきたい。
—地域にはみ出すことで存在感を増してきたUDOK.
UDOK.は、2011年5月にいわき市小名浜に誕生したオルタナティブスペース。私小松理虔と丹洋祐の2人によって立ち上げられた。晴耕雨読という四字熟語にネーミングのヒントを得、昼間の仕事を「晴耕」、夜間に行うクリエイティブな活動を「雨読」とし、その「雨読」の活動を地域にはみ出しながら行おうというのがコンセプトだ。現在は5名が在籍し、通常はシェアアトリエとして、週末などはイベント会場として利用されている。
震災後には、音楽イベントや即興劇の公演、アート作品の展示、写真展、まちづくり系のワークショップなども開かれた。また、サンマやカツオの水揚げが再開された時には、地元の食をテーマにしたゆるい飲み会などを企画したこともある。振れ幅の広いイベントが特徴だ。
イベントは、できるだけ地域と絡めることを目指してきた。たとえば、写真を撮る、絵を描くといった動作も、アトリエの中ではなく「町の中」でやれば地域の人たちとのコミュニケーションも生まれる。また、ガラス張りのスペースなので、通りから丸見えになってしまうが、「ここはなんのスペースですか?」と声をかけられることも多い。こうした突発的な出会いが、コミュニティづくりをさらに面白いものにしてくれる。
UDOK.のテナント料は月6万円。この6万円の負担をメンバーがシェアし、それぞれがイベントなどで出た収益を運営費や修繕費に宛てることで、金銭的にも持続性のある運営が行われてきた。通常のメンバーは月額5,000円で利用することができるため経済的な負担も少ない。もともと昼間の仕事をしていて最低限の収入はあり、楽にスペースを活用できるのが強みではないかと思う。
こうした場づくりは、初めから完成されたスペースを目指すのではなく、無理をせず自分にできる範囲から初めていくことが肝要だ。地方なら賃料も安いし、ウェブを使えば仲間は集められる。「できるところから」手をつけていけば大きな失敗はしないし、仲間が増えていけば、自然と「できること」も大きくなっていくものだ。↗
UDOK.には人が集まる。特に震災後は、ボランティアで小名浜を訪れた人や、いわきを取材するジャーナリスト、いわきで何かやりたいという人たちの窓口となった。ネットでの発信もしていたため、支援物資が寄せられたこともあった。人と情報が集まり、小名浜と外をつなぐ窓口になったことは、やはり「場」を作ったことの最大の効能だと思う。
最近では、原発事故でいわきに避難してきた人や、震災後にいわきに引っ越してきた人たちの表現の場としても機能し始めている。大熊や双葉で音楽活動をしていた人たちがUDOK.でイベントを開催するなど、それぞれの地域の表現者同士の横のつながりも生まれている。↙
—「晴耕と雨読」ではなく、「晴耕雨読」のフェーズへ
人が集まることで場所の魅力が増し、さまざまな人に認知されていくUDOK.。最近では、UDOK.を利用する個人ではなく、団体としてのUDOK.に対する仕事の依頼も多くなってきた。それにともなって、雨読での活動や、雨読で出会った人たちが少しずつ「晴耕」、つまり本業にも波及し、まさに仕事とプライベートを分ける必要のない「自分そのもの」が地域の中で浮かび上がっている。↗
具体的な話をしてみよう。私は、UDOK.を始めた当初、市内の木材商社に勤めていた。しかし、その会社は地域の生活者に向けたビジネスというより、むしろ他県の企業向けのビジネスだったため、仕事でできたつながりと、雨読を通して生まれたつながりも晴耕に活かせず、雨読の活動も、なかなか会社には理解されなかった。
ところが、2012年の3月から地産の水産食品メーカーに転職してから状況が変わった。地域に根ざした食品の会社であるため、雨読で出会った人たちが直接お店に足を運んでくれたり、UDOK.のイベントでも自社の商品を販売することができるようになったのだ。また、地域の物産展などで出会う方たちも「地域を楽しくしたい」という熱意を持った方たちが多いため、UDOK.に共感してくれる人もいる。
そこで気づかされたのは、晴耕と雨読はそれぞれが魅力を高め合い、足りない部分を補い合う関係だということ。個はより強くなり、その個が集団となって地域にはみ出していくことで、地域はもっと面白くなる。雨読で磨いたクリエイティブな感性を「地域に」ぶつけていくのだ。
晴耕と雨読を分けても、遅かれ早かれそれは結びつこうとする。なぜなら晴耕も雨読も同じ1人の人間から生み出されるからだ。理想は、「仕事」と「プライベート」を分けずに、「地域」の中で自分を面白く活かすこと。UDOK.は、それが無意識のうちに完遂されるような仕掛けを生む場所でありたい。
UDOK.は、自分のクリエイティブな感性と地域を接続する場所である。仕事もプライベートも分けることなく、「自分そのもの」が地域と繋がっていく。それが、UDOK.の目指すスタイルである。それが当たり前になった時、都市に従属していた地方は、「SUPERLOCAL」として新たな魅力を放つのではないだろうか。●
—地元化することで街のリビングへ
りくカフェとは、東京に拠点を置く成瀬猪熊建築設計事務所が設計を手掛けた、コミュニティカフェ。地元の医療関係者、その家族や友人、まちづくりや建築の専門家、多くの企業からの支援により2012年1月より運営を始めている。大きな勾配屋根と木の温もりが感じられるデザインが特徴で、地域の女性たちが管理役を勤めながら、カフェ以外にもさまざまな催しを開催している。
「天井を高くすることで開放的な空間になるよう設計したのですが、皆さんもう「狭い!」とおっしゃっているような状況で、いろいろなふうに使い倒してもらっています。そこはほんと建築家冥利に尽きるなぁと。普段はコミュニティカフェとして、コーヒーやお茶などを振る舞う場所ですが、焙煎所と協力してオリジナルブレンドのコーヒー豆を売り出したり、手芸教室や演奏会などのイベントを開催してみたり、いろんな活用をして頂いています」。(成瀬)
りくカフェのある陸前高田市は、市街地のほとんどが津波によって失われてしまったため、震災当時は「ボランティアたちが集まったり休憩したりできる場所もなかった」と成瀬は振り返る。そんな状況で、りくカフェは少しずつ外からやってくる人たちと陸前高田を結ぶ中継地点となっていく。興味深いのは、りくカフェがさらに「地元化」していったことだ。当初は外から来る人の割合が高かったが、オープン数ヶ月で利用者の半分ほどが地元の人で占められるようになったという。
「お年寄りには仮設にある集会所、男の人には居酒屋があるけど、おばちゃんたちが行くところはないんだっておっしゃる方も多くて、そういう方に刺さったんじゃないかと。今は40~60代の女性が主体となって、コミュニティガーデンを作って花を植えたりと、地元の方により使ってもらえるようになりました」。(成瀬)
震災当初は外から集まる人たちの窓口となった場所が、その後徐々に地元化していくという傾向はUDOK.でも同じことが言える。外からたくさんの人が集まれば、運営もうまくいくし賑やかな空気感は確かに出せる。しかし、「いったい誰のためのスペースなのか」という本来の目的を問えば、やはり地元化はコミュニティスペースには欠かせない要素ではないだろうか。↗
「最近、金曜日だけ隣町のパン屋さんのパンを販売するようになったのですが、車がよく通る通りに看板を立てたらパンが飛ぶように売れるようになりまして、今年の10月後半からは特に地元の人がやってくるようになりました。外への情報発信、どこの誰に知ってもらうのかというアウトリーチがいかに重要か気づかされました」。(成瀬)
りくカフェの場合はスタッフを雇うためのマネタイズも考えなければならない。どう売り上げを維持していくのか。考え、実行していく中心はあくまで「内側」の地元メンバーだが、成瀬や猪熊たちが「外の人間」として関わることで、一歩離れたところから価値を発掘し、またある時は地元の人の悩みを吸い上げていく。それによって、外側の視点と内側のニーズが場所づくりへに適切に反映されていくのだ。↙
—可能性を提供し続ける
「私たちはカフェのプロデューサーではないし、特別なスキルで意見集約ができてるわけじゃないんです。ただ、現地のみなさんの歩調に合わせて可能性を提供し続けるということは心がけてきました。主体はあくまで地元の皆さんですから。私たちの役割は、登山のシェルパみたいな存在ですかね」。(成瀬)
甚大な津波被害を受けた陸前高田市では、かつて存在していた地縁や集落を引き継ぐことなく仮設住宅が建てられてしまった。街に本来あった地理的なコミュニティが崩壊してしまったのだ。そこで成瀬たちが考えたのは、コミュニティを元に戻すのではなく、地域の人たちと一緒に「新しい」コミュニティをつくるということだった。↗
「何より新しいほうが前向きですし、活動を通して地域全体をバージョンアップしていけると思うんです。地元の皆さんはほんとうに大変なご苦労をされていると思いますが、そんな中で『新しい生き甲斐が見つかった』と言ってくれるメンバーもいて、活動の成果が出てきたかなという実感がようやく持てるようになりました」。(成瀬)
当たり前のものとして埋没しがちな価値。それを成瀬や猪熊たち「外の人間」が気づき、それを地域の人とともに考え、共有するからこそ「内の人間」の問題意識につながり、発意と行動を促す。場が完成すれば建築家の仕事は終わりだと考えてしまうが、こうした「シェルパ」的な存在こそ、被災地のコミュニティづくりに必要な立ち位置かもしれない。
—さらなる地元化が生む「新しい公共」
より地元化を進めていくため、りくカフェでは新しい取り組みが続々と行われている。最近では、生協の移動販売が週に2度ほど回るようになったという。今までカフェに来なかった人も野菜を買いにカフェにやってくる。新しい人の輪ができはじめているのだ。ポジティブな方向へのバージョンアップ。成瀬たちの地道な活動は実を結び始めている。
「これからはカフェ事業だけではなく、病院と連携したり医療福祉系の催しを開いたりしたいですし、教育活動とかもやっていきたい。こうしたさまざまな要素が複雑に組み合わり、地域の人がりくカフェを使いまわしていくことで、『新しい公共』としてのシェアスペースが生まれていくのではないかと思います。仮設に暮らす人だけではなく、地域に暮らす人たち全体にとっていい影響を与える場所になっていきたいですね」。(成瀬)
一軒のカフェに生まれようとしている新しい公共。そうした動きは、震災前の陸前高田にもなかったものだ。まさに「新しく作られるコミュニティ」。そこには、地域の価値に気づき、その価値を地域の人たちとともに考え、地域の人たちに寄り添いながら発意を促す「外の人間」の存在があった。SUPERLOCALとは、そのような人たちと共に生み出されるものなのかもしれない。
(終)
profile
成瀬 友梨
1979年愛知県生まれ。2007年東京大学大学院博士課程単位取得退学。2005年成瀬友梨建築設計事務所設立。2007年より、猪熊 純とともに成瀬猪熊建築設計事務所。2009年~東京大学助教。
猪熊 純
1977年神奈川県生まれ。東京大学大学院修士課程修了後、千葉学建築計画事務所を経て 、成瀬・猪熊建築設計事務所共同主宰。現在、首都大学東京助教。建築はもとより、プロダクトからランドスケープまで、様々なデザインを行う。
小松 理虔
1979年福島県いわき市生まれ。法政大学文学部卒。福島テレビ報道部記者を経て中国上海に移住し、雑誌編集者などとして活動後2009年に帰国。ウェブマガジン「tetoteonahama」編集長、「UDOK.」主宰として活動中。
TEAM iups
福島県いわき市出身の大学生らによって立ち上げられた任意団体。代表は中央大学大学院の西丸亮が務める。外からいかに地域に携わるかをテーマに、学生が主体となって幅広く活動中。
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