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SUPERLOCAL 009 / talksession

トークセッション:猪熊純×成瀬友梨×小松理虔

りくカフェとUDOK. から考えるローカルの可能性②


edited by Riken KOMATSU, photo by アキタカオリ / posted on 2013.1.10

 

震災を期にクローズアップされた「地方はどうあるべきか」という問題。前回に引き続き、慶応大学三田祭で開催された、建築家の成瀬友梨、猪熊純、そしてtetoteonahama編集長の小松理虔によるトークセッション「RE:LOCAL」を取り上げる。今回は、対談を主催したTEAM iupsの西丸亮をモデレーターに迎えた4人によるトークセッションとなる。新しい地方の価値をどう生み出していくのか。そのヒントを探っていきたい。

 

—「日常化」が生むシェアスペースの持続性


西丸:みなさん基調講演ありがとうございました。それではさっそくUDOK.の基調講演から振り返りたいと思いますが、猪熊さん、感想はいかがでしたか?

 

猪熊:僕がいちばんなるほどと思ったのは、基本的な仕事をしていて、UDOK.のほうはサブでやるという、その「等身大でやれるところから始める」という感覚。実は、りくカフェをやるようになって、建築系とかコミュニティ系とか、震災の活動をしている人と良く会うんですが「来年続けられるかはわからない」という話がけっこうあるんです。最初はお金になりにくいし、ビジネス化するのも難しい。だから賞金や補助金を取るために、、、という流れになってしまいがちです。UDOK.の場合は、アフターファイブで等身大でできるところから可能性を考えて、やってるうちに可能性が増えていくという流れですね。そこに刺激を受けました。

 

西丸:最初は自発的に始まっても、運営の時間が経つと「やらなくちゃいけない」という義務感が生まれたりしますが、設立から半年経って、どうでしょう、「雨読しなくちゃ」みたいな意識というのはありますか?

 

小松:「雨読しよう!」なんてことはあまり思わないですね。日常になっている感じ。会社が終わればUDOK.に行って、メンバーがそのうち集まってきて、おなかが空いたら家に帰ってご飯を食べて、またUDOK.に行くという生活で。自宅でできることもあるけど、誰かしらいるから楽しいし、家から近いので、「わざわざ行く」という感覚はないですね。最初は意識的な「仕掛け」も必要だけど、そのうちに日常化していくんです。

 

西丸:UDOK.のメンバーは「部員」と呼ばれてますよね。これまで部員の出入りは多かったんですか?

 

小松:やっぱり日常的に使っていない人は辞めてしまいますよね。第一にはアトリエ、作業場としての機能を重視しているので、やはり何か作業をすることが日常的になっていない人は、長く続きませんでした。以前は、週末部員も何人かいて、週末だけ使ってもらえればいいよということで部費も半額にしてたんだけど、最初は楽しくてもやっぱり続かない。今続いているメンバーは日常化できてるってことでしょう。ほんと、トイレに行くような感覚でUDOK.を使ってる。特に僕と丹(共同主宰の1人)はそうじゃないかな。

 

西丸:りくカフェの場合はどうでしょう。ホームページなども見させて頂きましたが、「住民の発意」というのを重要視していますね。活動の主体となっている元気なマダムな方たちは、まるで第二の青春を楽しんでいるというようにも見えますが、持続していくためのカギがあるんじゃないかと。やる気をくすぐる仕掛けは何かあるんですか?

 

成瀬:そうですね、最初に印象的だったのは、去年の6月くらいにコミュニティカフェをやろうという話が出てきて、9月の時点で建てることが決まったんですけど、そのときに「アタシたちの人生はこっから始まるのね」って言った方がいて、ほんとにジーンときました。女性たちのそのやる気に感動して、「一緒にやりたい」って思ったんです。私たち自身、仕事をけっこう抱えていてすごく大変だけど、皆さんのやる気にすごく後押しされてます。やる気が落ちなくて、逆にがんばり屋さんなので無理しちゃう。だから「無理しなくていいよ」って言ってるくらいです。

 

西丸:りくカフェって、カフェなのに日曜日休みですよね。東京からボランティアに行こうとすると、仕事がない日曜日しか陸前高田に行けない。でも、地域の住民の自発的な生活にとけ込むことを重視してるから、カフェは開いてない。そのあたりの「無理をしない」ということが、持続性を生んでいるんですね。↗

 

TEAM iups代表の西丸亮。対談のモデレーターを務めた。
TEAM iups代表の西丸亮。対談のモデレーターを務めた。
UDOK.の主宰であり、tetoteonaham編集長の小松も参加させて頂いた。
UDOK.の主宰であり、tetoteonaham編集長の小松も参加させて頂いた。
りくカフェについて語る猪熊純(左)と成瀬友梨(右)
りくカフェについて語る猪熊純(左)と成瀬友梨(右)

 

成瀬:無理にならなければ日曜日もありだと思いますよ。土日は、どちらかというと習い事なんかが入っているんですが、カルチャースクール系の催しだと、その人たちに使ってもらえればいいので、スタッフが何人も出なくていいですよね。

 

猪熊:地元の人に使ってもらいつつ、運営メンバーはあまり疲れないで済むし、そういう方法を今後考えていきたいですね。

 

成瀬:それに、なにかひとつのコミュニティに占拠されないように、どんどん入れ替わっていくことが必要だと思います。そうなれば、誰かがカフェを辞めたいと思ったとしても、続けていけるし、出たり入ったりが自由なほうが地域に開かれていていいと思います。

 

西丸:重要な指摘ですね。こういうスペースは、長く続けるとコアメンバーができて、悪い意味で言えばコミュニティが強くなりすぎて、外から人が入りづらくなってしまう。UDOK.では、こういうことはありますか?

 

小松:震災後は、とにかく外からとにかく人が来て、外から見れば楽しそうな場所に見えたけど、日常化すればするほど、淡々とした「作業場」になっていきます。みんな机に座って黙々と作業してるから「入りづらい」という声は確かにあります。でも一方で、入りづらいという雰囲気がある種のフィルターになっているのもある。UDOK.が面白そうだと思って入ってきてくれる人は、みんなUDOK.の主要なメンバーになってますから。あとは、入りやすい雰囲気にするというよりも、僕たちが外に出て行くというのを心がけています。UDOK.だけをスペースだと考えず、地域にどんどん出て行くのはUDOK.の特徴です。↙


 

—地域に広がっていくUDOK.の効能

 

西丸:りけんさんはよく「地域にはみ出す」ということをよく言っていますね。具体的にお話いただけますか?

 

小松:公共の領域に引かれた線をはみ出すってことです。たとえばUDOK.の持ち物をあえて通りに置いてみたり、浜辺でヨガをやるというのも公共空間へのはみ出しですよね。公共とされているところに出て行くことで地域の人たちとのコミュニケーションが生まれるんです。UDOK.メンバーの高木くんが企画した町の中で小名浜をスケッチする企画では、町全体をアトリエとして使う、つまり町にはみ出していくことが大きなテーマでした。↗

 

「はみ出すことで、会社ではなく「地域」の中で自分を活かせる」と小松。
「はみ出すことで、会社ではなく「地域」の中で自分を活かせる」と小松。

 

 

 

猪熊:UDOK.のスタートの仕方も面白いですね。ウェブマガジンというウェブの場が先行してあって、後に実際の場としてのUDOK.ができてますよね。ネットのメディアはローカルを全国や全世界とつなぐことができるツールですが、UDOK.は町くらいの範囲で広がるという、その両方を持っているというのが面白い。ウェブマガジンとUDOK.が連動したり、本業のかまぼこ屋さんのほうとUDOK.が連動したり、プラスのことが起きそうじゃないですか。実際にはどうなんですか?

 

小松:そうですね、本業のほうでいえば、すごくあると思います。以前は木材商社に勤めていたんですが、UDOK.のような地域での活動と本業の「お客」がリンクしないので、余計なことはするなと。一方で、今のかまぼこの会社の場合は逆です。先日小名浜の工場夜景を撮影するバスツアーを企画したのですが、そのお土産にうちの蒲鉾を使いまして、数万円の売り上げがありました。このほかにも、かまぼこメーカーのウェブサイトに僕の撮影したレシピの写真を載せてるんですが、たまたまそれを見た飲食店の方から「うちも撮影してくれ」というオファーがあったり、どこでどう何がつながるのかわからないという面白さはあります。かまぼこメーカーに勤めている僕、ウェブマガジンを制作している僕、UDOK.を主宰してる僕、というのがそれぞれ微妙に重なってくる。どの立場でもなく、僕という1人の個人がうまく回っている感じがします。↙




 

—外から関わるときに重要なのは「話を聞く」こと

 

西丸:りけんさん、ありがとうございます。それではりけんさんのほうから、りくカフェ側になにか質問などはありますか?

 

小松:外から運営に関わることの難しさ、という部分での質問なんですが、皆さん、とてつもない被災をされて、悩みや苦しみ、葛藤などを抱えてらっしゃると思うんです。運営するにあたって、そうしたものをどう受け止めてらっしゃるのか。成瀬さんも猪熊さんも現地で津波を経験したわけではないですよね。そこでどう地元の人たちとコミットしていくのかをお聞きしたいです。

 

成瀬:皆さん大人なので、ひどく言う人はいないけど、メンバーの中には家や家族を失った人もいます。話しながら泣かれてしまったこともあります。被災の話を一度に聞いて、帰りの新幹線のなかでぐったりしてしまったこともあったけど、皆さんにかけてあげられる「いい言葉」なんてなくて、ただ聞くことしかできない。それでも思うのは、皆さんの話を聞くことが、巡り巡って自分の話を聞いてももらえるってことだし、そう思えば素直に話を聞けるんじゃないかなって。皆さんそんなふうにお互いにフォローし合いながら、笑顔を忘れずに貴重な時間を過ごしています。

 

西丸:地方だと女性が活発に動くことが珍しいので、家族の反対などもありそうですよね。

 

成瀬:陸前高田にはカフェという文化がないので、カフェを運営することに理解がない方もいます。お客さんの接客で夕ご飯の用意が遅れてしまうメンバーもいて、それを怒る旦那さんもいるのですが、それをはねのけるくらいに皆さん「盛り上げよう」って言っているので、ほんとうに心強いですよ。↗

 

成瀬は、地元の人の話を聞くことの重要さについて力を込めた。
成瀬は、地元の人の話を聞くことの重要さについて力を込めた。

 

小松:地域特有の考え方や習慣というのは、その土地に入ってみないとわからない。やっぱり「話を聞く」ことがすごく大事なんですね。

 

西丸:UDOK.の場合は、どうですか? 福島県には放射線の問題がありますが、外からUDOK.を目指してくる人に対して意識することはありますか?

 

小松:僕の場合は、「小名浜での暮らしを楽しむ」ってことを意識して発信するようにしてますけど、実際「100%楽しい」ってことはない。だから、そういうを実際の場でどんどん等身大で語っていくほうがいいのかなと。UDOK.にやってきた人とは飲んだりするんだけど、みんなの話題が原発のほうになったら、流れにまかせてどんどん心の内を素直に言うようにはしてます。放射能については、とにかく人によって考え方が違う。でも、「僕はこう考える」ということを、みんなバラバラでもいいから語った方がいいと思ってます。そのバラバラさが、福島で暮らすということを一番はっきりと伝えてくれますから。↙

 


 

—「地元」との関わり方を考える

 

西丸:実は今日は、りけんさんとともに共同でUDOK.を主催してらっしゃる丹さんも会場にいらっしゃっています。そこで丹さんにも質問なのですが、UDOK.ができる前と後では、丹さんにどんな変化がありましたか?

 

:いちばんは出会いの数がハンパないってこと。もともと僕は建築を学んできたんですが、UDOK.って大学の「製図室」のイメージですね。夜中まで設計の課題をやる部屋って楽しいんですよ。下らない話もして設計もして、そういう感覚です。UDOK.がなかったときは、職場はあるけど、朝起きて実家でご飯食べて、仕事行って帰ってくるだけ。職場では遊ぶって感覚はないですよね。だから、UDOK.で出会ったメンバーは、家族みたいな、新しいつながりができてきていると思います。そこが大きな変化ですね。

 

小松:成瀬さんの話の中で、メンバーが「このカフェで第二の人生が始まるんだ」って話していたという、その話がすごく心に残っています。30歳近くに田舎にUターンしてくる人たちって、なんとなく「おれもそろそろ落ち着いて子どもも生まれて平凡な家庭を築いていくのか」みたいな、ある意味「都落ち感覚」で帰ってくるパターンが多いように思うんです。UDOK.に出入りしている人の中には、「いわきでもこんなに面白いことができるんだ」とか、「うちの地元にUDOK.みたいな場所があったら田舎に帰るのに」と言ってくれる人もいて、UDOK.のような場所が誰かにとっての「第二の人生」を提供できるのかもしれないと、そういう可能性はすごく感じてます。

 

西丸:東京で就職してしまうと福島に戻るのは難しいですよね。でもUDOK.のような灯台があれば、行ってみようという気持ちになるんじゃないですかね。

 

小松:そう。やっぱりUターンがすごく大事で、一度外に出た地元出身者って、内側と外側の両方を理解できるから、それをいかに増やしていくか。りくカフェは、陸前高田出身の学生が携わりたい、一緒にイベントやりたいっていう気持ちをぶつけられる場所だと思うし、若い世代の「Uターンのための道しるべ」になるんじゃないかと思います。陸前高田出身の人って全国にいるわけですから、りくカフェの扉はもうすでに全国に広がっているわけですが、「場」を持つことで全国に広がる感覚、ありませんか?

 

猪熊:ありますね。りくカフェをやりはじめたら、陸前高田の出身の方と東京で出会うことも増えてきました。いろいろ話を聞いているうちに、クリエイターと繋がってコーヒーのオリジナルのパッケージができたりということも起きています。それに、東京にいるより、さまざまな人たちと出会える感覚がありますね。東京って同じ属性の人と出会う機会が多いんですが、りくカフェでは自分の属性が解体された状態で出会えるので、思いもしない方と出会えるんです。

 

小松:そこが東京から地方と関わることの面白さかもしれませんね。僕たちはすでにUターンしてきているので、小名浜が「暮らしの場」です。だから、もちろん故郷だということもあるんですけど、根底にあるのは「自分が住んでる町」を面白くしたいという思いです。都会はすべてがそろってるけど、田舎は自分たちで作るしかない。その作ることが楽しいんだっていう。まあ、田舎にいると「しがらみ」もいろいろあるんだけど、「地域の中で生きている」感覚は強いです。だから僕は、シェアスペースを東京でやるなら、きっと葛飾とか下町とか、そういう場所を選ぶでしょうね。そっちのほうが「地域に開かれる」感覚は強いと思います。↗

 

UDOK.では家族のような新しいつながりができたと語る丹。
UDOK.では家族のような新しいつながりができたと語る丹。
りくカフェから広がるつながりについて語る猪熊。
りくカフェから広がるつながりについて語る猪熊。
満員の40名近くの参加者がトークセッションに耳を傾ける。
満員の40名近くの参加者がトークセッションに耳を傾ける。

 

猪熊:地方出身者が東京に住んでいるとして、その地方へのアプローチなのか、今住んでいる場所へのアプローチなのか、「何をどこに向かってボールを投げたいのか」によってシェアスペースを作る仕組みや場所の性質は違ってきますよね。西丸くんみたいに一貫して外で活動していても、こうして故郷とつながれるわけですから。

 

成瀬:私たちがUDOK.のような場所を目指さないのは、たぶん本業で超満足しているからならないのかもしれない。みんなで「わーい」ってやってることが面白すぎて、「今住んでるところをどうにかしたい」というふうに意識がいかない。毎日が楽しいから、そうならないなー。実家は、、、帰る気ないんだよねー(笑)

 

猪熊:僕は世田谷に住んでいて、最近を家を買っちゃいまして、そこで子どもが生まれれば、子育てするのはここなんだ、周りの人に助けてもらわないといけない時が来るだろうなって、きっと思うと思います。となると、町にもなにか貢献できるかもしれないし、自分の住んでいる世田谷でまちづくりに関係する仕事がきたら積極的にやるだろうなって。世田谷にコミュニティカフェがあれば、子どもを連れてくるだろうし。家庭をもって、住んで、子どもが生まれることで、自分の「地元」というのが生まれるのかもしれません。だからあまり実家のほうにはこだわりはないかな。↙

 


モデレーターの西丸亮の問いかけに答えながら、対談は終始にこやかに進められた。それぞれの言葉で、被災地における「ローカル」が語られる。
モデレーターの西丸亮の問いかけに答えながら、対談は終始にこやかに進められた。それぞれの言葉で、被災地における「ローカル」が語られる。

 

—震災後の地方を再定義する

 

西丸:確かに住むことが「地元」を生み出しますね。もちろんその場所が「ふるさと」であれば、モチベーションも上がるのかもしれませんが、いずれにしても、りけんさんのような内側から起こそうという人間、成瀬さんや猪熊さんのように外側から関わる人間、2種類の人間がかみ合うことで、より地方の問題や価値をあぶり出し、地域をよりよくするための具体的なアクションに結びつくのでしょう。では最後に、今回のテーマである「RE:LOCAL」についてお話しできればと思います。震災によって浮かび上がってきた「地方」の再定義ということについて、皆さんから総括的なお話を頂ければと思います。

 

小松:「首都圏のために何かを生産する」ということを続けてきた福島の歴史を振り返ると、結局いままでの田舎の価値って「東京に認められる」がすべてだったんじゃないかと思うんですね。地元においしい店があるのに、“東京で認められた”チェーン店を有り難がってしまうというか。モノだけじゃなくてヒトも、東京に大学に行く、東京の大企業に行くとか、とにかく東京がすべてでした。その結果、都会のルールに従って何かを生産し続ける社会から抜け出せなかったのだと思います。でも実は、東京の人に変に媚を売らなくても、東京の人が「田舎ってすげえな」って思えるものはたくさんある。だから、自分たちがいいと思ったことを、東京の目線を気にするんじゃなく、自己完結していいくらいの気持ちで自信を持って“地域に”発信していくことが大事なんじゃないか。またまたかまぼこの話で恐縮なんですが、「さんまのぽーぽー焼風蒲鉾」という商品は、めちゃくちゃ地元の味付けにこだわって作られたんです。だからか、東京の人にはこの味が駄目だという人もいる。生臭いと。反対に地元の人は「ああ、これはぽーぽー焼きだね」と評価してくれて、最近ではかなり根強い人気商品になってきています。そのときに大事なのは、「ぽーぽー焼きって珍しいし、これを商品化しようよ」という外の目線です。東京の人が有り難がる「シェア」とか「コミュニティ」という言葉も、地元の足湯やショッピングセンターの休憩所などにある。つまり、地元の人にとって「当たり前」のものにこそ、実はすごく価値があるわけです。そこでカギになるのは、そこに気づける、猪熊さんや成瀬さんのような外から関わる人の存在。そのとき、外側の意見を押し付けるのではなく、内側の意見を吸い上げながら「磨き上げていく」ということが大事だと思いました。なんというか地元の意見をデザインしていける外の人間。そういう関わり方が持続性を生み、日常化し、地域を面白くしていくんだと思います。↗

 

 

 

 

成瀬:陸前高田にいると気づくことなんですが、直接地元の人同士で言えないことを、私を通して言うことがあるんです。もうサンドバックみたいに(笑)。第三者的に入ると、難しかったコミュニケーションが楽になったりもするんです。地元の人がヒートアップしてるときに「冷静に考えるこうですよね」って言うことでクールになっていく。さきほど小松さんの話にもありましたけど、陸前高田のおばちゃんが作る「おこわ」、これ東京で食べたらやばいぞ~っていうのが、おばちゃんたちは「家で炊いてるだけだから」って照れてる。そういう話ができるのが外から関われる人ですよね。「触媒」というか、きっかけを与えられるような人になれたらいいし、今後もこういう関わり方をしていきたいです。現代では、新幹線とか飛行機とか移動の手段も豊かになって、たとえば私は今週は青森、昨日は山形で、猪熊君のほうは明日は出雲なんですが、そういう外からの携わり方もできる。東京の人が行くことで盛り上がるというのもありだと思うし、違う意見を投げ込む人が大事かなって。そういう関わり方が面白いですよね。

 

猪熊:今日のトークセッションは、答えを頂いたって感じがします。正直、僕らも悩んでたんです。りくカフェをはじめたころ、東京からサポートする側にも「どういうスタンスでやるのか」ってところに温度差があった。最初は、僕らが関わるからには外に対する発信が速くないと意味がないと思って、外へ向けた発信に力を入れていたんですが、そればかりやっていたら地元の人が来ないんです。そこで、我々は何をすべきなのかという問いに立ち返って考えました。ちょっと話は変わりますが、シャープの経営不信で各地の工場が撤退していますよね。工場があった自治体は、従業員がごっそりいなくなって、地元の地主が従業員のために用意していたマンションがぜんぶ空になってしまう。原発の話も一緒で、外からの大きいビジネスの要求があって、その流れでバサっとやられると、いきなりキツくなってしまう。外を重視したらおかしくなってしまうから、中で盛り上がらなくちゃいけない。そんなことを考えていたところなので、今日のトークセッションはほっとしました。やっぱりそうなんだって。だから今日は安心して帰れます(笑)

 

西丸:みなさん今日はお集まり頂きありがとうございました。3人のお話には、今回のテーマである「RE:LOCAL」を考える上で、大きなヒントが転がっていたかと思います。ぜひまたこうして報告できる機会を設けられればと考えています。今日はありがとうございました。

 

(終)



profile

成瀬 友梨

1979年愛知県生まれ。2007年東京大学大学院博士課程単位取得退学。2005年成瀬友梨建築設計事務所設立。2007年より、猪熊 純とともに成瀬猪熊建築設計事務所。2009年~東京大学助教。

 

猪熊 純

1977年神奈川県生まれ。東京大学大学院修士課程修了後、千葉学建築計画事務所を経て 、成瀬・猪熊建築設計事務所共同主宰。現在、首都大学東京助教。建築はもとより、プロダクトからランドスケープまで、様々なデザインを行う。


 

小松 理虔

1979年福島県いわき市生まれ。法政大学文学部卒。福島テレビ報道部記者を経て中国上海に移住し、雑誌編集者として活動後2009年に帰国。ウェブマガジン「tetoteonahama」編集長、「UDOK.」主宰。

 

西丸 亮

1988年いわき市小名浜生まれ。中央大学大学院在籍中。2010年に福島県出身者たちとTEAM iupsを設立。「外部」からいかに地域に携わるかをテーマに、学生が主体となって幅広く活動中。