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SUPERLOCAL interview

高木 市之助

田舎を楽しむことは、ファミコンを楽しむことと似ている。

text & photo by Riken KOMATSU / posted on 2012.6.7

profile /  高木 市之助  Ichinosuke TAKAGI

1979年いわき市小名浜生まれ。高校卒業後、仙台でデザインを学び上京。上京後はVJ(ビジュアルジョッキー)として、都内のクラブやライブハウス等で活動し、2006年にはDJ Qbertの東京公演のVJ crewを務めた。2010年に小名浜に帰郷し、地元の蒲鉾会社に務めながらアートプロジェクト「OAM」を主宰。

 

日々変わりゆく小名浜の風景をスケッチし、その景観をスケッチの中に保存しようというイベントを主催するOAM代表の高木市之助。6月はじめ。初の展覧会を小名浜のショッピングセンターで開催した高木に、スケッチについて、そして小名浜について話を伺った。さて、小名浜とファミコン。話はどうなるのか。高木の言葉にじっくりと耳を傾けて欲しい。

 

―不安から始まった展示

 

OAMは、2011年から活動がスタートした高木市之助によるプロジェクト。小名浜・アート・盛りつける。この3つの言葉をカギに、アートの力によって小名浜を楽しくしてしまうおうというものだ。

 

※高木本人の発案は当初「小名浜・アート・盛り上げる」だったが、ちょうど小名浜を訪れていた福島市の建築家アサノコウタが「“盛りつける”はどう?」と提案したことで名前が決まった

 

これまで2回の市民参加型スケッチを開催している。小名浜在住やいわき市内在住の人たちが思い思いに町へ出て、愛着のある場所やきれいだと思った場所をスケッチしてきた。

 

今回の展示は、これまでに参加した人たちのすべての作品をタウンモールリスポのラウンジに展示するというもの。タウンモールリスポは、それはそれは昭和の香りが色濃く残る「町のショッピングセンター」だ。

 

普段は高齢者で賑わうような場所だが、高木は、かなり早い段階からこの場所での展示を計画していた。小名浜のみんなが思い出を共有するこの場所だからこそ、スケッチは輝く。そんな思いがあったからだ。

 

ポップの書体が目を引く展示の案内板
ポップの書体が目を引く展示の案内板

 

 

 

「展示会」という、わりとしっかりした形をとることで自分のハードルをあげていたので、こうして形になったのを見て、安心するとともに、すごく満足しています。

 

会場について言えば、手作りの額装や古ぼけたボードがマッチして、いかにもリスポらしいという雰囲気が出ました。ここは別に銀座の百貨店じゃないし、楽しげで少しゆるい感じが合うんじゃないかって思っていましたけど、かなりフィットしていると思います。


このイベントは「行為」としてのスケッチに意味を見出すものなので、スケッチ自体のクオリティはまったく問題にしてきませんでした。展示すると、絵のクオリティに目がいってしまいますが、せっかくみんなで楽しんで描いたのに、クオリティに関して何か言われてしまうかもしれないということには不安がありました。

 

でも、その不安は今はありません。小名浜のおばちゃんたちや、ヤンキーの女の子たちが会場のテーブルを占拠してたり、そこで弁当を食べるおじさんたちがいたりと、カオスな空気感がとにかくいいですよね。周りの店からも丸見えで、アートギャラリーでの展示ともぜんぜん違うし、既存のワークショップなどとも違う。「なんだこの空間は!」と驚く人もいるかもしれませんね。

 

作品を見ても、クオリティのバラバラさが、むしろ見る人の思い出や記憶と結びついているように思えました。上手な絵、美しい絵となると、「作品」として「鑑賞」してしまいがちですが、こういう自由な絵だからこそ、すっと心に入っていくというのはあると思うんです。

 

「ここはどのビルだろう」とか考えてみたり、「ああ、ここでこんなことをしたなあ」って思い出してもらったり。絵のうまい下手を超えたところで皆さんが絵と向き合っている。その光景が、すごくいいなあって思って見てました。

 


市民憩いの場がそのままギャラリーに。町のショッピングセンターならではの光景。
市民憩いの場がそのままギャラリーに。町のショッピングセンターならではの光景。

 

―スケッチの理由、効能

 

2011年7月の発足以来、OAMでは、これまで2度のスケッチ大会と数度のトークイベントを開催している。いずれも、市民が参加し、自らの思い出や記憶を頼りに小名浜への愛情をぶつけていく企画だ。

 

これまでデザイナーやVJとしての活動を通じて自らのクリエイティビティを高めてきた高木。数多くの表現方法を持つ高木が、なぜ市民参加型のスケッチを活動の柱に据えたのか。なぜ、スケッチでなければならなかったのか。

 

味世屋(小名浜の老舗ラーメン店)が壊されたということが大きかったですね。今は新しい店ができたから、こんな風に新しくなってよかったなぁって思えるけど、震災当時は、「なくなってしまうんだ」ということだけが重くのしかかっていました。

 

急激に変化していく小名浜の町並みを残すにはスピード感が大事だと思ったんです。がっちり作り込んでいたら間に合わない。クオリティとかはとりあえずおいておいて、趣旨に賛同してくれた人からやろうって、そんな感じでしたね。

 

イベント化についていえば、味世屋を描いた絵をお店に持っていったとき、すごく喜んでくれたことが大きかったです。最初から喜ばせようと思って描いたわけではないんですけど、店のおかみさんだけじゃなく、お客さんが絵を見てくれる。「ああ、これは前の味世屋の建物だね」と、食べている人の会話が聴こえるんです。

 

自分の絵がコミュニケーションを生むきっかけになっているのを実際に目の当たりにして、ああ、これはみんなでやれば、もっとそれが広がるなと思いました。

 

 

 

 

町なかで絵を描いていて、小名浜の町をスケッチするのを日課にしているというおばあちゃんと出会って話を聞くと、震災があって、スケッチした場所もメチャクチャになって、耐えがたい悲しみを感じたそうです。それは、絵を描くことでいろいろなことを考え、建物や風景と対話したからだと思うんです。写真と違って、スケッチは長ければ数時間はその場所と接しますから。

 

だから、小名浜で長年暮らした人だけでなくて、はじめて小名浜を訪れた人も、そこで絵を描くことで「新しい愛着」を持ってくれる。1枚、2枚と描いていけば、いずれそこは「忘れ難い場所」や「思い出深い場所」になっていきます。

 

小名浜出身者だけじゃなく、いろいろな人が参加できるイベントになるんじゃないかと、味世屋のスケッチを描き、それを飾ってもらったことで、たくさんの収穫がありました。それが、このイベントの土台になっています。

 

和紙や色紙で手作りの枠を作って作品を展示した
和紙や色紙で手作りの枠を作って作品を展示した


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