FEATURE / 僕が青学の講義で話したかったこと。

FEATURE

僕が青学の講義で話したかったこと

posted on 2012.5.31


 

−tetote onahama 実践論

 

2009年、小名浜に帰った僕はさっそくこのウェブマガジンをスタートした。名前は、人の手と手が結びついて、小名浜という地域が花開いていく様をイメージして「tetote onahama」。システムは、ドメイン登録料とサーバー代あわせて月額950円の「Jimdo Pro」を使った。ウェブデザインの知識がなくても、ここなら簡単にできる。

 

誰も知らない「小名浜」を、ゼロからビジュアルで印象づけていくためには写真が一番だ。そこで、マイクロ一眼レフのカメラを購入した。これで、海や空や雲、昭和の色を残す街並を撮り続けた。少しずつ「きれいないところですね」というコメントが残るようになった。写真の腕も、撮るうちに上がっていった(と思いたい)。

 

ないものねだりをしても仕方ないので、取材対象は、今あるものを探す。港の海の幸は、高級店には通えないので、母の手料理をカメラで撮って紹介することにした。インタビュー記事は、この田舎にそんな有名人がいるわけもないので、身近にいる人たちにお願いをした。最初のインタビューは、僕が通う理容店のマスター、菅原暁さんだ。

 

自分でいうのも何だが、「tetote onahama」の内容は至ってシンプルだと思う。というか、これくらいしか、個人ではできやしないのだ。それに、僕は昼間に仕事をしているので、どうしても時間が足りない。だが、これで食っているわけでもない。締め切りもない。自分のペースで、自分の書きたいように、書いてゆける。

 

考えてみると、このページを見る人の多くは、初めて小名浜を知る人だ。切り口によっては、まったく新しいイメージで、小名浜を知ってくれる。変な先入観がないから、作り手の意図する方向に引っ張り込めるのだ。小名浜を知っている人も、「あれ、小名浜ってこんなにきれいだったっけ?」と、意外性を含んだ感動を抱いてくれる。

 

テレビ局の記者時代から、「すでに価値のあるもの」を紹介していくのが「メディア」の役割だと教えられてきた。でも違ったのだ。メディアを通して、「新しい価値が作られていく」のだ。これが、地域のローカルに根ざしたメディアの最大の特徴であると思う。tetoteを通じて初めて小名浜を知ってくれた人は、アクセス解析によれば、もう数万人にもなっている。

 

 

青山学院大学での講義は実に刺激的なものだった。学生との出会いも、今後大きな糧になっていくと思う。
青山学院大学での講義は実に刺激的なものだった。学生との出会いも、今後大きな糧になっていくと思う。
日常の何気ない風景も、色味やアングルで魅力的に伝えられるよう工夫をした。
日常の何気ない風景も、色味やアングルで魅力的に伝えられるよう工夫をした。
港町の美しさを伝えたかったので、海と空の写真は意図的に増やした。
港町の美しさを伝えたかったので、海と空の写真は意図的に増やした。


−tetote を変えたインタビュー記事

 

インタビューをコンテンツの中心に据えたのは、普段の何気ない会話の中に、「こんな素晴らしい話、みんなに教えたいなぁ」と思うことがたくさんあったから。世間で有名だとされている人だけに感動の物語があるわけではない。むしろ、普通の市民にこそ、感動的な物語が残っていることが多い。本人は、その価値には気づいていないのだけれど。

 

インタビューをするにあたって気をつけたことは、背伸びをしないこと。たとえば理容店のマスターにインタビューするのなら、仕事について聞くのが王道というものだ。しかし、僕にはその知識がない。だから、難しい話題にせず、その人の人生ついて質問をしていくことにした。年齢が同じくらいの人となら話もできるし、読者も共感できる。

 

そのせいか、インタビューをさせてもらった人の中には、記事をアップしたその夜、泣きながら「ありがとう」と言ってくれた人もいた。「悩んでたことが楽になった」とか、「改めて自分のことがわかった気がする」とか、そんなことを言ってくれた人もいた。僕のインタビューがきっかけで「自分の個性や価値」を再確認できたのかもしれない。

 

そうなのだ。インタビューは、その人の個性を引き出す。同じような職業をしていても、同じようなテクニックを持っていても、人生だけはみんな違う。「人生」は、その人だけのものだ。だから、「その人にしかないもの」を、インタビューによって引き出してしまえばいい。そうすることが、その人の価値を再構築し、世界に1つしかないインタビュー記事をつくる。

 

作り手が「これにはこんな価値があるよ」と言ったものに、新しい価値が生まれる。「やったもん勝ち」ということもできるかもしれない。そしてそれは、メディアづくりの醍醐味でもある。妻夫木聡や小栗旬のインタビューは、いろんなメディアで読める。でも、菅原暁さんのインタビューが読めるのは、tetoteだけ。これを、どう考えるか。それが鍵だと思う。

 

 

一番最初のインタビューに登場していただいた菅原暁さん。
一番最初のインタビューに登場していただいた菅原暁さん。


−メディアを通して作り上げられる自分

 

tetoteを見て下さる人が増えてくると、ある変化が起き始めた。「小名浜に行ってみたい」と、県外からわざわざ来て下さる人が増えたのだ。実は、僕が今交際している彼女もそう。彼女は、tetoteを見て「小名浜に行きたい」と思い、実際にやってきた。そしてそれがきっかけで付き合うことになり、今はもうこの小名浜に住み着いている(笑)。

 

そしてさらにうれしいことに、「小名浜に行ってみたい」が、「りけんさんにも会ってみたい」に変化してきたのだ。このウェブマガジンは自分1人で作っているから、どうしても、個性が出過ぎるほど出てしまう。しかし、それが逆に作用して、ウェブマガジンの内容そのものが、僕の人間性や個性を伝える役割をも果たしてくれていたのだ。

 

「セルフブランディングの時代」だといわれる。個人として自立し、個性を発揮していくためには、自分のブランドを作り、それを磨いていくことが必要なのだと。僕はそれを意識したことはあまりなかったが、自分のメディアが結果的に自分の価値を高めてくれたのだとすると、メディアを作ることは、紛れもなく、セルフブランディングの最良のツールということができる。

 

今では、「何かお手伝いをさせてもらえないか」そんなメールも届くようになった。そういう方には、小名浜についてのエッセーを書いてもらっている。「小名浜出身の友人がいる」と、ご友人を紹介してくれた方もいる。そして、今回の青山学院大学での講義。地方に住んでいるからこそ、メディアを作っているからこそ、こんな僕に、「奇跡」のようなことが起きたのだ。

 

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text & photo by Riken KOMATSU


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