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SUPERLOCAL interview

ASA-CHANG

じゃんがらを通して見る未来

連日連夜のじゃんがら奉納。体力の限界に挑む。
連日連夜のじゃんがら奉納。体力の限界に挑む。

 

ークリエティブには責任が伴う

 

連日連夜のじゃんがら奉納。日本を代表するパーカッショニストが儀式に没頭することで見えてきたことはなんなのか。限界を超えたASA-CHANGの口からは、舌鋒鋭く「表現」にまつわる話が飛び出してくる。

 

表現やクリエイティブというのは、気持ちいいことだけや、かっこいいだけのものでもない。責任が伴うものです。責任があるから、つきつめて見据えて考える。つきつめて考えて創った結果の音楽表現だから、一元的な気持ちのいいものだけが生まれるわけではない。

 

日本の演歌もそうでしょう? 「恨み節」というのがあるくらいだから。レクイエムという音楽形式もそうです。ASA-CHANG & 巡礼の曲でも、震災以降、自分でも聴けない曲があるんです。自分でつくった曲なのに、困ったことに自分で聴けない。逆に、巡礼の曲を聴いて救われたと言ってくれる人がいるのは、ほんとうにありがたいことです。

 

現代のポップスは、悦楽のツールでしかなくなってしまいました。喜怒哀楽の上ずみの気持ちいいところだけを抽出しているように思えます。それは、今のメディアにも同じことが言えるかもしれません。「がんばろう」とか「つながろう」とか、それぞれの状況の違いを無視して、感動という悦楽を上から押しかぶせてくる。コノヤロウ!って石をぶん投げてやろうかって思うこともあります(苦笑)。それくらい、快楽や悦楽至上主義の音楽に違和感を感じるんです。

 

いわき市豊間地区で奉納されたじゃんがら。鎮魂の祈りが捧げられた。
いわき市豊間地区で奉納されたじゃんがら。鎮魂の祈りが捧げられた。

 

 

 

このインタビューの冒頭でASA-CHANGが語ったメディアへの不信感の話が、今ようやくつながったような気がした。個々の違いを無視するように連呼される「がんばろう」や「絆」が、ASA-CHANGには、快楽や悦楽だけの享楽的な音楽と同じように聞こえたのだろう。だからこそ、「じゃんがら」という、集落それぞれのリズムを尊重する弔いの儀式に没頭していった。

 

津波による犠牲者が甚大で、深刻な状況なのにも関わらず、全国的には原発事故にマスキングされてしまっているいわき市出身、そして浜通り出身のパーカッショニストASA-CHANG。そのASA-CHANGにとって、じゃんがらを通じて犠牲者を供養することからプロジェクトを始めたのは、必然だったのだ。

 

震災後、いわきでの数々のチャリティライブの噂を聞いたときは、「ありがとう」という気持ちと、「俺の故郷で、なんて惨い歌を歌うんだ!」という気持ちが錯綜した感情のまんまでした。さらに言えば、僕は「こんな大災害で、“個人の楽曲表現” が果たしてどんな効力を持つのだろう」とずっと疑問を感じていたんです。

 

だから、「ASA-CHANG」としてじゃんがらとセッションするという方向では全くなく、純粋に「いわき育ちの朝倉弘一」として、既存の団体に参加させてもらうことにしたんです。しかし、生まれ育った平の鎌田地区にはじゃんがらの青年会がありませんから団体探しからはじめました。

 

じゃんがらをやると決めたときは、そりゃある種の覚悟はしました。学生時代の先輩からは「アサクラァ~、その歳で止めどげ! 今やったら死ぬどぉ!」、「お前がやんなくたっていいべー! 何も変わんねえぞぉー!」って言われたりもしました。

 

「お前プロだからカンタンに叩けんだっぺ?」なんて言う人もいるけど、とんでもない話ですよ。青年会のしきたり通り、盆前の約1ヶ月の練習だけでは太鼓なんて・・・。でも、もちろん今年もやるつもりです。



—それぞれに違うローカルの歴史。その重み。

 

伝統芸能という側面にはきびしい現実も当然あります。実際やりたくてやってるわけじゃない方も少なくないですよ。爺ちゃんも父ちゃんも代々続けてきたからやる。考えたって、投げ出せるものじゃない。

 

練習場に来ると、下世話な話をして和んでますけど、ひとたび練習が始まると、四の五の言わずにじゃんがらに没頭する。なんというか「理屈のない凄み」というか。過去からつながってるものの重み、強みなんですかね。

 

いま、日本全体が、未来に対して明確な答えを持っていません。だったら、視点を変えて過去を見てみるのも大切なのでは? と思います。歴史を紐解くことが、「さまざまな文化が今に続いているのだ」ということを気づかせてくれる。

 

歴史や地域の文化って、自分から守ろうと思ってきたものじゃないでしょ。いわきの冷やし中華に必ずマヨネーズがついてくるのと同じ目線で、理屈なんて超えたところで続いてきた慣習に光を当てることが、福島やいわきを知ってもらうことにつながり、それが、地元の人たちの救いになるかもしれない。そんなふうに、歴史やローカルに目を向けることが、プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!! の肝だと思っています。

 

「教授」こと坂本龍一氏も参加したことから各メディアで取り上げられ、大きな反響を呼んでいるプロジェクトFUKUSHIMA! ですら、もしかしたら、福島全体を「福島色」に染めるものなのかもしれない。ASA-CHANGの違和感は、きっとそこにも向けられている。

 

プロジェクトのコンセプトはとても素晴らしい。しかし、置かれた状況は、会津、中通り、浜通りでまったく違う。だからこそASA-CHANGは「暖簾分け」という策で「プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!」を立ち上げなければならなかった。苦肉の策から必然がうまれたのだ。


そこで貫かれる「違いを認める」という姿勢は、地域による被災差の大きい福島において、多いに参考にすべき視点のように思える。(もちろん、それは「表現」に限った話ではないはずだ。)↗   

 

 

稽古場までは自転車。ストイックなまでに自分を追いつめた。
稽古場までは自転車。ストイックなまでに自分を追いつめた。
いわきと東京をスカイプでつなぎ、インタビューを敢行。
いわきと東京をスカイプでつなぎ、インタビューを敢行。

 

そして、そうした「違い」を過去に遡り、紐解き、そこで得られるものを自らのクリエイティブに落とし込んでいく。ASA-CHANGはユーモラスかつトリッキーに語りかけてくれるが、その流儀は「つきつめる」という言葉に相応しいストイックなものだった。

 

次の上映会では、ASA-CHANG自身が出演するトークイベントも予定されている。そこで、また何が語られるのか。その独特な語り口調にも期待しながら、いわきのこと、福島のこと、そこで繰り広げられる「表現」について、考えてみてはいかがだろうか。

 

(終)

 


informaiton

ドキュメンタリー映画『100年の鼓動―ハワイに渡った福島太鼓―』企画上映会

会場:いわきアリオス

日時:2012年2月10日(金)、18:30(開場:18:00)

>>詳しくは、いわきアリオスウェブサイトへ。

 

ハワイの夏の行事には「ボン・ダンス」があり、「福島音頭」を始めとする各地方の盆歌が演奏されているという。本作『100年の鼓動 ハワイに渡った福島太鼓』は、ハワイに暮らす日系人の、文化と歴史を活写したドキュメンタリー・フィルムだ。この映画の上映会を、ハワイと縁のあるいわき市で、太鼓に縁のある音楽家ASA-CHANG(いわき市出身)がプロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!として企画。上映会では映画「フラガール」に出演した女優、池津祥子(郡山出身)を迎え、この映画を日本に紹介したカメラマンの岩根愛とともにトークセッションを行う。


関連リンク

プロジェクトFUKUSHIMA!

プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!


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