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SUPERLOCAL interview

アサノ コウタ

建築"以下"でつくる 人に寄り添う福島

text by Riken KOMATSU / photo by BHIS

profile / アサノコウタ  Cohta ASANO

建築家。1983年福島県福島市生まれ。慶応大学SFC政策・メディア研究科修士課程卒業。卒業後に地元の福島市に戻り、「建築以下のデザイン」をコンセプトにしたBHISを設立。数々の建築を世に送り出している。プロジェクトFUKUSHIMA! では「福島大風呂敷プロジェクト」を担当するなど、今や福島市の顔。また、福島学院大学非常勤講師として、さらに若い世代の指導にもあたっている。

 

1月21日、福島県二本松市に新しいコミュニティスペース「屋内の大地」をオープンさせたBHISのアサノコウタ。一貫して地域と関わりを持ち続けている若手建築家の1人だ。そのデザインに底通するのは、独自の「建築以下の設計」という考え方。そこにはいったいどんな意味が込められているのか。アサノへのインタビューを通して、福島という「地方」で活躍を続ける、その秘訣を探る。

 

ー屋内の大地

 

目下アサノが全力を傾けているのが、2012年1月21日にオープンしたばかりの「屋内の大地」というスペース。商店街の空き店舗を活用し、屋内に大地をしつらえたコミュニティスペースだ。

 

白を基調にした空間には、全国から寄せられた土や葉、松ぼっくりなどが敷かれ、子どもたちは放射能汚染を気にすることなく、安心して土遊びをすることができる。また、親たちも、我が子を見守りながら草原の上で飲み物などを飲むことができ、コミュニティの交流の場として、情報交換の場所として機能することが期待されている。↗


子どもたちは、自然と触れ合いつつ安心して遊ぶことができる。
子どもたちは、自然と触れ合いつつ安心して遊ぶことができる。
正方形に区切られた木枠の中に、石や土、枯れ葉や枝などが入れられた。
正方形に区切られた木枠の中に、石や土、枯れ葉や枝などが入れられた。

 

 

 

二本松のNPOに所属している方から、空き店舗があるからそこにコミュニティスペースを作ってくれないか? とオファーを頂いたことがきっかけで、このプロジェクトが始まりました。

 

コミュニティスペースというと、椅子やテーブルが置いてあって、おいしいお茶が飲めて、本棚には本が並んで、、、という光景を想像すると思いますが、震災後、福島の日常はやっぱり変わってしまったんです。そこで、もう一度「人が集まる場所」とはどんな場所なのか考える必要が出てきました。

 

考えた結果、やはり放射線量の低いところに人が集まるという結論に至りました。そこで、比較的放射線量の低い屋内に「公園」を作れないだろうかと考えたんです。

 

僕の考える公園というのは、子供たちの遊具があればいいというわけではなく、人が集まる、情報が集まる場所をイメージしています。子供から大人まで集まれる場所に自然を感じられる大地があったら、ふらっと人が入ってこれるし、そこが「公園」になるのではないか。そんなふうにして、「屋内の大地」のアイデアが膨らんでいきました。

 

今回、オープンするには充分な土や落ち葉を全国から送っていただいて、本当に感謝しています。でも、欲を言えば、この倍は欲しいのが本音ですね。揺らぎのない大地ということも考えたのですが、起伏や色合いなど、決まり決まった完成形を設けずに、そのときの気候や雰囲気で変わってもいい。そういう揺らぎのある大地にしていきたいと思っています。

 

福島第一原子力発電所の爆発事故を受け、福島市や二本松市といった福島県中通り地方は、深刻な汚染被害を受けている。震災前から数多くの設計を手がけてきたアサノだが、屋内の大地は、子どもたちが放射能汚染を気にせず安心して遊べる場所が欲しいという、地域のニーズに応えたものなのだ。↙

 


 

ー震災後の福島で求められるのは「瞬発力」

 

避けて通ることのできない「放射能汚染」。アサノは、建築家として、その放射能汚染と、どのように向き合おうと考えているのか。今回の事故は、アサノがつくるもの、考えに、どのような影響を与えているのだろうか。

 

震災前後で、僕自身がやっていることはあまり変わっていないように感じています。地震や放射能汚染という要素は確かに増えたけれども、コンテクスト全体で考えると、今置かれている状況と僕がやりたいことは、幸運にもマッチングしているんじゃないかと思うんです。

 

僕の活動のコンセプトは「建築以下の設計」というもので、簡単に言えば、ビルや住宅など大きなものを設計するのではなく、家とかよりも小さいものを設計しようというものです。実は、皆さんはご存じないかもしれませんが、木造100平米以下、RC20平米以下の規模であれば、法律上は誰でも設計者として名乗っていいんです。作る人、使う人が主役になれる。それが「建築以下」のよさです。

 

そして、「建築以下」にすることで、即興的にできあがる「スピード感」を持たせることができます。通常の住宅だと、設計から施工を経て、完成まで1年くらいかかってしまいますよね。でも、犬小屋だったらすぐに作れるように、実際に使う人の「身の丈」にあったスケールであればあるほど、短いスパンでものができあがるんです。

 

屋内の大地の様子。佐賀県から寄せられた貝殻で遊ぶ子どもたち。
屋内の大地の様子。佐賀県から寄せられた貝殻で遊ぶ子どもたち。

 

311以後、私たちの日常は劇的に変化しています。地震があったと思ったらすぐに避難を余儀なくされ、ようやく仮設の住宅に入ったと思ったら今度は寒い冬が来るといったように、フェイズが変わるたびに、求められるものも変わっています。

 

そしてその変化のスピードは、これまでの福島にはないような速さで進んでいる。でも、そのスピード感は、僕のやってきた「建築以下」の瞬発力にマッチするんじゃないかと思うんです。↙



「福島大風呂敷」では、大地を風呂敷の大きさに細分化することで、多くの参加者を得ることに成功した。
「福島大風呂敷」では、大地を風呂敷の大きさに細分化することで、多くの参加者を得ることに成功した。

 

—設計しない建築

 

アサノが「建築以下の設計」に対する自信を深めた理由のひとつに、プロジェクトFUKUSHIMA! との出会いがある。プロジェクトの中で行われたオーケストラに、カギは転がっていたという。

 

プロジェクトの中で、大友良英さんや、PIKA☆さん、七尾旅人さん、原田郁子(クラムボン)さんたちがオーケストラをやったんです。そのオーケストラにはタライを持っている人もいるくらいで、音が鳴るものならなんでもいいというスタイルなんですが、指揮者は簡単なルールを設定しただけで、他にはなんの指示もしていないんです。

 

そのルールは、指の動きと指し示す方向に従って音をだすというもので、それによって楽譜がなくても音楽ができあがっていくんです。そのプロセスに大きな衝撃を受けました。もともと、音楽の場合にはジャズのジャムセッションのように即興的に音楽をつくりあげる文化があるんですよね。


これはつまり、音楽を建築に、楽譜を設計図に置き換えれば、「設計をしないで建築をつくる」いうことにつながってきます。「即興の建築」というか「設計を放棄した建築」というか。そもそも建築には設計図が必要なのですが、詳細な設計図を書かなくても、ルールだけを作ってしまえば自然にできあがるのではないかと改めて思ったんです。


オーケストラの一場面。原田郁子の指揮でそれぞれの音が1つに。
オーケストラの一場面。原田郁子の指揮でそれぞれの音が1つに。

 

ルールだけを作るというのは、これまでも僕の頭の中にあったアイデアでした。たとえば、「環境の棚」をプロデュースしたときには「枠の寸法だけは統一する」というルールだけで設計をしました。

 

1マス1マス、ホームセンターで売っているサイズですから、誰でも作ることができます。設計を放棄することで、作る人や使う人に寄り添った建築ができるのではないか。その頃から、「設計をしない建築」についての着想はあったのですが、あのオーケストラを見て、その思いが強くなりました。

 


 

—建物全体ではなく、躯体に思いを込める

 

環境の棚のような「建築以下の設計」は、スケールが小さいためスピードが速い。スケールが小さいからこそ、使い手が「作り手」となって携わることができる。材料もホームセンタ—などで調達できるものを選んでいるため、素人も作りやすい。細部を作り手に任せてしまうから、結果的に使う人に寄り添う建築となるのだ。

 

しかし、それでは「アサノによる建築物」ということになるのだろうか。建築家として、設計図通り、最後まで完璧に仕上げたいという思いはないのだろうか。

 

自分の考えやコンセプトを反映させるのは、建物全体ではなく「躯体」だけで充分だと思うんです。僕は大学時代に古民家を研究していました。そこでは、「軸組み模型」という骨組みだけの模型をよく作るんです。建物全体ではなく、あくまで骨組みだけ。

 

でも、古民家というのは、その骨組みを見れば、それがいい建物かどうかわかってしまう。古民家の命は「躯体」にあるわけです。「躯体」という言葉を、さきほど話した「ルール」に置き換えてもかまいません。そのような研究をしていたので、次第に「躯体に思いを込められればいい」と考えるようになりました。

 

そして、その「躯体」を考えるときに大事になってくるのが「細分化」という考え方で、こちらも僕の研究テーマでした。スケールの大きいものは、大きすぎるがために、1人ひとりの人間がなかなか関わりあうことができません。巨大建造物などはそうですよね。

 

ところが、それを細分化してスケールを落としていくと、1人の人間がその環境と直接関係を持てるようになる。図を見てもらえれば、イメージがわくと思います。


細分化してスケールダウンしてくると、クライアント自身が制作に参加できるようになります。屋内の大地も、環境の棚も、そうやって作ってきました。自分たちで作るから、自然に愛着も湧きますよね。床をはったり、枠を作ったり、みんなでやる。それがすごくいいと思います。

 

環境の棚。大きな建物が「格子」に細分化され、使い手が作り手になる。
環境の棚。大きな建物が「格子」に細分化され、使い手が作り手になる。
「環境の棚」が「細分化」されるコンセプトダイアグラム。
「環境の棚」が「細分化」されるコンセプトダイアグラム。